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「学問」は何のために?――1920 年代の梁啓超の「新文化」建設構想をめぐる一小論
http://hdl.handle.net/10959/00004951
http://hdl.handle.net/10959/000049515555be79-fbe9-44c5-a5e7-96bbca6e3042
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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Item type | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||
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公開日 | 2021-05-10 | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | 「学問」は何のために?――1920 年代の梁啓超の「新文化」建設構想をめぐる一小論 | |||||
言語 | ja | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | ガクモン ハ ナンノ タメニ 1920 ネンダイ ノ リョウ ケイチョウ ノ シンブンカ ケンセツ コウソウ ヲ メグル イチ ショウロン | |||||
言語 | ja-Kana | |||||
言語 | ||||||
言語 | jpn | |||||
資源タイプ | ||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||
著者 |
高柳, 信夫
× 高柳, 信夫× Takayanagi, Nobuo |
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抄録 | ||||||
内容記述タイプ | Abstract | |||||
内容記述 | 五四運動前後の中国で展開された「新文化運動」といえば、かつては陳独秀、胡適といった、雑誌『新青年』に深く関わった人々の系譜のみが突出した存在であるかのように描かれることが多かった1。しかし、近年では、当時の「新文化」建設をめぐる議論の多様性にも注目が集まるようになっており、その中で、1920 年代の梁啓超の思想的営為も有力な「新文化」建設の試みの一つとして評価され、彼がめざした「新文化」の「方案」については、相当程度の研究の進展が見られる。 とはいえ、梁啓超の「新文化」についての議論は、極めて多岐にわたり、また、時期によって、その議論の内容が微妙に変化しており、その構想の全体像はまだ十分明らかにされているとは言いがたい。 もちろん、その作業はこの一篇の小論だけでなしうることではないが、本稿では、「学問のあり方」をめぐる1920 年代の梁啓超の議論を取り上げ、彼の「新文化」構想の一側面を明らかにすることを試みたい。 |
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書誌情報 |
ja : 言語 文化 社会 en : Language, Culture and Society 号 18, p. 19-42, 発行日 2020-03 |
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出版者 | ||||||
出版者 | 学習院大学外国語教育研究センター | |||||
言語 | ja | |||||
ISSN | ||||||
収録物識別子タイプ | PISSN | |||||
収録物識別子 | 13479105 | |||||
書誌レコードID | ||||||
収録物識別子タイプ | NCID | |||||
収録物識別子 | AA11820089 | |||||
フォーマット | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | application/pdf | |||||
著者版フラグ | ||||||
出版タイプ | VoR | |||||
出版タイプResource | http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85 |