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  1. 学習院大学
  2. 学位論文
  3. 博士(史学)
  4. 2022年度

文化事業を通じた満洲経営の宣伝

http://hdl.handle.net/10959/00005522
http://hdl.handle.net/10959/00005522
8348cbfc-2e9a-4556-819f-fa85eb877fb8
名前 / ファイル ライセンス アクション
abstract_K309.pdf abstract_K309.pdf (263.1 kB)
ref_abstract_K309.pdf ref_abstract_K309.pdf (388.2 kB)
Item type 学位論文 / Thesis or Dissertation(1)
公開日 2022-11-22
タイトル
タイトル 文化事業を通じた満洲経営の宣伝
言語 ja
タイトル
タイトル ブンカ ジギョウ オ ツウジタ マンシュウ ケイエイ ノ センデン
言語 ja-Kana
言語
言語 jpn
資源タイプ
資源タイプ識別子 http://purl.org/coar/resource_type/c_db06
資源タイプ doctoral thesis
アクセス権
アクセス権 open access
アクセス権URI http://purl.org/coar/access_right/c_abf2
著者 長谷川, 怜

× 長谷川, 怜

WEKO 48059

ja 長谷川, 怜

ja-Kana ハセガワ, レイ

en Hasegawa, Rei

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抄録
内容記述タイプ Abstract
内容記述 日露戦争の勝利によってロシアから南満洲の権益を継承した日本は、敗戦に至るまでの約四〇年間にわたって満洲(中国東北部)に対する諸政策=満洲経営を展開した。満洲経営には、政策主体から国策会社、財閥、民間企業、個人まであらゆる組織・人々が参画した。「満洲」というキーワードは政治・軍事・外交・経済はもちろん、文化や教育、娯楽など戦前期日本のあらゆる面に関係している。
従来、日本の満洲進出(満洲経営)を扱う研究では、陸軍を主要なアクターとして捉え、政策理念を持って大陸政策に関わっていたことが明らかにされてきた。また、満洲経営の方針決定をめぐる国内の動向や、日本の満蒙に対する関係構築がいかにして日本の政策を規定したのかという観点からの分析が行われた。一方、文化史やメディア史の分野でも満洲旅行のありようやメディアによる報道、満洲国による宣伝工作などが分析対象となっている。満洲旅行をめぐっては、人々が満洲への旅行を通じて帝国の一員としてアジアに対する優越意識を持ったことや、経済活動を展開するための場所として認識されるようになったことが明らかにされた。また満洲国が多様なメディアを活用することによって国内外に自らの存在をアピールして国家としての外形を整えようとしたことなどが明らかにされた。さらに近年は、満洲を含む中国に対する認識の変遷や、陸軍による大衆型娯楽宣伝の中で満洲事変が政治的行動の手段として利用されたことなどを明らかにしようとする研究が蓄積されている。こうした個別研究に留まらず、明治~昭和にかけて満洲経営をめぐって世論形勢がどのような手段・機会によって行われたのかという観点から分析を行うことによって、戦前期における一般民衆がどのように満洲経営の重要性を理解し、共通認識を形成していたのかという実態を鮮明にすることができよう。
本論文における「文化事業」とは、行う主体が何であるかを問わず、学術や芸術、また教育など、人間の精神活動に関わるもの全てを示すものとして定義している。そのため、①日露戦後経営と満洲への経済進出の事業、②満洲権益の獲得過程と外交、③満洲旅行、④満洲を取り上げたメディア(視聴覚資料)、⑤満洲に関する展示と学術調査、という5つの分野を横断的に扱い、「生命線」としての満洲の姿が人々の間で共通認識として定着していった過程を明らかにする。
本稿の特徴は、文字史料に留まらず図画像資料や音声史料など文字以外の史料も扱い、図像学的な考察などを通して、同時代の満洲表象を浮き彫りにした点にある。これらの史料はそれ自体に留まらず、他の媒体と相互に影響を持ったと共に、生産する側は恣意的に見せたい/聞かせたい部分だけを切り取り、人々に共有させたといえるからである。すなわち一般民衆が目にし、耳にしていた媒体の中にこそ当時の共通認識が横たわっているのである。
第1章「満洲経営論の萌芽と権益の獲得過程」では、初期満洲経営について、メディアによって発信された言説、実際の経済活動、外交交渉の3点から検討した。第1節では日露戦争中~直後における代表的な満洲経営構想を取り上げた。多くの意見において満洲権益を日本が経営していくことは自明のものであったが、一方で満洲経営は後回し、あるいは不要なものとして国内経済を優先する主張も一定の支持を得ていたことが判明した。
第2節では、国内の積極的満洲経営論を背景とする「満洲ブーム」の中で計画された一九〇六年の奉天商品展覧会を取り上げた。国内各地の商業会議所が主導し、満洲経営に関わる諸機関が援助を行ったものである。国内の商業者は満洲進出ブームの中で満洲を商業的進出の場と見なし、展覧会をきっかけに日本商品の市場を満洲へ拡大させようとした。しかし、この計画は南満洲で日本軍による軍政が継続している時期に計画されたことから、満洲の利権回収を目指す清国の激しい反発に直面せざるをえず、事業を発展的に展開するという目論見は破綻した。この計画は、満洲へ人々の目を向けさせ南満洲の経済圏に日本が進出することの意義を広く国内に認識・宣伝する効果があったが、民間主導による満洲進出には限界があった。
第3節では、満洲権益の獲得過程を撫順炭鉱の事例から紹介する。日露戦争の講和条約で権益が移譲された後、日本は清国やロシアからの利権回収要求に直面した。満洲経営の初動において政策主体が主張した権益の正当性の論拠を明確に把握することにより、一般民衆の満洲権益認識と実際の外交の最前線の論理には大きな乖離があったことを浮き彫りにできるだろう。
清国・ロシアからの利権回収要求を外交交渉によって封殺したことで、日本と満洲との間に緊密な経済関係が構築され始めると、国内から満洲への人的資源の送出が喫緊の課題となっていく。満洲の知識をあらゆる階層に理解させる必要があり、教育や文化、娯楽などを動員した満洲宣伝が展開されたのである。第2章「満洲を見せる試み―学生たちの満洲体験」では、満洲修学旅行を扱う。従来の研究では、商業学校の生徒たちが卒業後のビジネスの場として大陸を認識するようになったことが明らかにされているが、商業学校以外の教育機関では、満洲旅行にどのような教育効果を期待したのだろうか。学生の感想を用いた教育効果について分析した研究も存在するが、個別年次の検証にとどまっており満洲旅行の成果を相対化するには至っていない。それを踏まえ、学習院と神宮皇學館を事例として一つの教育機関による複数回の旅行をそれぞれ通時的に分析し、学生のまなざしの共通点と相違点を探り、大陸に根付く人材育成を行う上で満洲修学が大きな効果を挙げていたことを指摘する。有為の人材を養成する中等・高等教育機関において外地への進出が奨励されていたことは、優秀な人材を積極的に登用して満洲経営を発展させていくという当時の国策のありようを示している。
しかし、全ての国民が満洲を旅できるわけではなく、修学旅行の影響力は限定的であると言わざるをえない。より広範囲に満洲の重要性を理解させるために行われた方策に関して検討を行ったのが第3章「視聴覚メディアが伝える満洲」である。視覚メディアについては時代ごとに扱われ方に変化があるため、時期を区分して変遷をたどり、満洲進出や満洲建国の正当性に関する政治的な主張、満洲国のスローガンが絵本や漫画のプロットに組み込まれて宣伝されていたことを明らかにした。また、レコードについては従来の研究で指摘されてきた流行歌など軍国歌謡以外に演説・ドラマ・浪曲などが満洲宣伝に利用され、幅広い年代・社会層にアピールされていたことを指摘した。
第4章「満洲経営の宣伝と調査研究事業」では、第2章・第3章を踏まえ、学生を主体とした研究団の派遣と、満洲の資源を展示する博物館の設置や調査団派遣を検討し、満洲宣伝に学術分野も動員されていたことに言及する。研究団の派遣や博物館事業・調査団は、満洲国の「建国」初期には文化事業として活発に展開された。しかし満洲国の建設と発展のための労働力となる人的資源の確保に比重が移り、文化事業が徐々に縮小していったことを指摘し、同時に文化事業を通じて陸軍が満洲経営の主導権確保を計画したことを明らかにする。
以上のように、旅行や教育、娯楽、展示、学術調査など様々な「文化事業」によって満洲の重要性が宣伝された。日露戦争後の言説においては、日本の満洲進出の正当性が説かれると共に、満洲(中国)地域の後進性が強調された。実際に満洲を訪れた修学旅行生たちも、日本による満洲のインフラ整備や開発を実見することで、国内の言説を自身の中で実体化した。明治期から昭和期にかけて、こうした認識が一般民衆層に共有されていたことは、満洲事変以降に展開される軍事力を背景とした満洲支配=満洲国の「建国」について、理論面で民衆を納得させる効果を生んだといえる。ただし、満洲を実見した学生たちの一部が日本の満洲経営に対する批判的なまなざしをも国内に持ち帰ったように、全ての人々が国策的な認識に収斂されていたわけではなかった。
旅行や学術調査の展開などにおいては、一般民衆に対して満洲経営の主体であることを意識づけようとする陸軍の強い意向を見ることができる。明治期の商品展覧会では商品の無償輸送を請け負ったほか、修学旅行においても無賃旅客輸送を提供しているからである。1920年代以降に軍縮が行われ、社会における反軍的風潮が高まると、陸軍は満洲事変と満洲国建国に伴う満洲ブームの中で再び文化事業に参入し、自らに好意的な世論の情勢を図った。陸軍にとっての満洲宣伝には国民の対陸軍認識の転換という側面も存在した。
しかし、こうした長期にわたる満洲の宣伝は陸軍をはじめとする政策主体だけによって行われたものではなかった。確かに、満鉄や内務省の職員が主体的に関与した絵本が刊行されたり、外務大臣などが満洲問題の重要性をラジオやレコードで呼びかけたりするなど、当局者による文化工作が行われていたのは事実である。その一方、満洲事変以降の「満洲ブーム」に一般民衆は夢中になり、自ら進んで満洲に関するコンテンツを生み出し、消費と再生産を繰り返していた。各種の文化事業が進展される中で、政策主体側と一般民衆側との相互影響が見られ、満洲宣伝自体が一般民衆の消費物となるという国内の状況が作り出されていったのである。
フォーマット
内容記述タイプ Other
内容記述 application/pdf
著者版フラグ
出版タイプ VoR
出版タイプResource http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85
学位名
言語 ja
学位名 博士(史学)
学位名(英)
言語 en
学位名 Doctor of Philosophy in History
学位授与機関
学位授与機関識別子Scheme kakenhi
学位授与機関識別子 32606
言語 ja
学位授与機関名 学習院大学
学位授与機関(英)
学位授与機関識別子Scheme kakenhi
学位授与機関識別子 32606
言語 en
学位授与機関名 Gakushuin University
学位授与年月日
学位授与年月日 2022-10-01
学位授与番号
学位授与番号 32606甲第309号
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Ver.1 2023-05-15 14:42:10.064770
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