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  1. 学習院大学
  2. 学位論文
  3. 博士(史学)
  4. 2019年度

前漢時代における高祖系列候

http://hdl.handle.net/10959/00004852
http://hdl.handle.net/10959/00004852
d0640fa8-ca37-46c7-822b-f2807c115c61
名前 / ファイル ライセンス アクション
abstract_O173.pdf abstract_O173.pdf (244.6 kB)
ref_abstract_O173.pdf ref_abstract_O173.pdf (347.7 kB)
Item type 学位論文 / Thesis or Dissertation(1)
公開日 2021-02-25
タイトル
タイトル 前漢時代における高祖系列候
言語 ja
タイトル
タイトル ゼンカン ジダイ ニ オケル コウソケイ レッコウ
言語 ja-Kana
言語
言語 jpn
資源タイプ
資源タイプ識別子 http://purl.org/coar/resource_type/c_db06
資源タイプ doctoral thesis
アクセス権
アクセス権 open access
アクセス権URI http://purl.org/coar/access_right/c_abf2
著者 邉見, 統

× 邉見, 統

WEKO 47116

ja 邉見, 統

ja-Kana ヘンミ, オサム

en Henmi, Osamu

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抄録
内容記述タイプ Abstract
内容記述 漢初には建国の功臣である「高祖功臣」が大きな政治的勢力を有し、特に有力な功臣は列侯に封建された。列侯は漢代二十等爵制最上位(第20級)の爵位である。先行研究では高祖功臣に大きな関心が払われ、彼らの勢力の盛衰や高祖と高祖功臣の関係が注目された。そして多くの研究において、高祖と功臣は天下平定以前には個人的な関係性を有したが、天下平定後にはそうした個人的な関係性が解体されたと解される。しかし、その時期や契機については諸説ある。こうした先行研究をふまえて本稿では、漢初に制定された列侯の序列である高祖系列侯位次の対象者である高祖系列侯を通じて、高祖と列侯の関係、そして高祖の権威の前漢政治史上における意義を検討した。以下に本稿の各章における考察の結果を簡潔に述べる。
第1章では、高祖期に行われた列侯封建について検討した。高祖期の列侯封建は時期によって2つに分けることができる。1つは高祖9年(前198)9月以前に行われたものである(第1次論功行賞)。第1次論功行賞は、高祖6年(前201)12月の楚王韓信の捕縛とその後に行われた高祖と諸侯王の会見を受けて行われた。この会見によって、列侯国をひろく諸侯王国に設置することを諸侯王に承認させたと考えられる。ここでは高祖6年12月以前の功績に対する論功行賞が行われるとともに、これ以前に賜与されていた食邑の整理が行われた。
一方で第2次論功行賞は、1年以上の中断を挟んで高祖11年(前196)12月に開始された。これは反乱の平定によって新たな功績が発生したことを受けたものである。よって、反乱の平定における功績への行賞が主であるが、一方で新たな行賞が行われた結果、過去の功績の見直しも行われたと考えられる。また高祖12年(前195)には再び食邑の整理も行われた。そして高祖12年3月詔によって、論功行賞の完了が宣言された。
また、高祖期の列侯国の分布を検討した。漢郡における列侯国の分布を見ると、内史の東方に位置する郡への封建が多く見られる。これは内史防衛を目的としたと考えられる。
これに対して諸侯王国における列侯国の分布を見ると、列侯と諸侯王国への配慮が見られる。前者については、封地の政治的安定や税収の確保が重視され、また環境の悪い南方へはその地域に関係の深い人物が封建された。諸侯王国に対しては、人口の多い地域に多くの列侯国が置かれたが、これは諸侯王国の税収に対する配慮であると考えられる。
以上を見るに、高祖期における列侯封建は、諸侯王や列侯に対する配慮のもとに行われたと言える。よって、列侯封建における高祖の主体性は乏しい。そして、このような列侯に対する弱い立場を打破するために、高祖は列侯と封爵之誓や白馬之盟を取り交わし、皇帝への忠誠を求めたと考えられる。一方でこれらの制度外の関係性に依拠せざるをえなかった点に、高祖期における皇帝権力の脆弱性を見出すことができる。
第2章では、恵帝期・高后期における列侯封建を検討した。当該期には皇太后である呂后が強い影響力を有したと考えられる。この時期の列侯封建は従来、高祖期の論功行賞の延長と解されてきた。しかし実際には、呂氏政権の権力基盤確立のために、それぞれの時期の政治状況に配慮しながら、封建が行われたと考えられる。
第3章では、列侯と第19級関内侯の差異を、漢初を中心に検討した。漢初の関内侯には列侯に匹敵する食邑を有する者が存在した。一方で功臣は列侯への封建を渇望した。その理由は列侯と関内侯の差異に存在した。それは爵位に備わった政治的発言力の有無にあったと考えられる。それゆえに、功臣は列侯への封建を渇望したのである。
また呂氏政権は、張家山漢簡「二年律令」具律85簡の規定において、列侯と関内侯以下との差違を明確にすることで、列侯を優遇した。
第4章では、高祖系列侯位次の制定と改定の政治的背景を検討した。『史記』・『漢書』列侯表所見の列侯位次は高后2年(前186)に制定されたものとされてきたが、実際には高后2年に制定された後、文帝初年に改定されたものである。高祖系列侯位次の制定と改定には、高祖の権威を継承することによる正統性の確立と高祖功臣の支持獲得の意図があった。
第5章では、封爵之誓と高祖系列侯位次の関係を検討した。封爵之誓は高祖と列侯の間で交わされ、高祖は列侯国の永続を誓い、列侯は漢帝国への忠誠を誓った。そして高祖系列侯位次は封爵之誓を継承したと考えられる。一方で封爵之誓は制度外にあったのに対し、高祖系列侯位次は詔によって制定された制度内のものである。ゆえに、制度外にあった高祖と列侯の関係は、高祖系列侯位次によって制度内に取り込まれたのである。つまり、高祖系列侯位次の制定と改定は、一方では高祖功臣の懐柔を意図しながらも、他方では高祖と列侯の関係を体制内に取り込むこと、すなわち高祖の権威の克服を図ったものであると考えられる。
第6章では、高祖系列侯の衰退過程を検討した。景帝は高祖系列侯の免侯・紹封・復封を行うことによって、自らに有利な政治状況の形成を図った。それによって、高祖功臣勢力への勝利に成功した。さらに高祖系列侯、そして高祖功臣の衰退により、景帝は高祖の権威を克服し、諸政策の変更を行いえたと考えられる。
第7章では、前漢後期における高祖系列侯の子孫に対する恩恵賜与を検討した。高祖功臣の勢力が衰退し、また高祖の権威に束縛される政治状況ではないなかで、宣帝は高祖系列侯の子孫に恩恵を賜与した。これは正統性に瑕疵がある宣帝が高祖系列侯を通じて高祖の権威を継承し、自らの正統性を確立することを企図したものと考えられる。
さて、宣帝が高祖の権威を継承するために用いたのは高祖系列侯位次であった。上述のように、漢初に行われた高祖系列侯位次の制定や改定は高祖の権威の継承を目的の1つとした。そこには、高祖と列侯が交わした封爵之誓を取り込むことによって、高祖と列侯の関係を模する意図もあった。そして宣帝が高祖系列侯位次を用いて、高祖系列侯の子孫に「復家」を行ったことも同様に解される。
一方で、呂后や文帝は高祖の権威に束縛されていた。ゆえに高祖系列侯位次の制定や改定によって高祖の権威を利用しつつも、高祖と列侯の関係を体制内に取り込み、高祖の権威の克服も図ったのである。そして、武帝が高祖系列侯に対する紹封や復封を停止したのは、高祖の権威の克服を象徴すると言える。つまり、漢初における高祖の権威の利用は、未熟な皇帝権力が大きな勢力を有する高祖功臣に対抗し、あるいは彼らの支持を求めるための方策であった。しかし高祖の権威を利用することは、高祖とつながりを有する高祖功臣の勢力を容認するものでもあった。
これに対して、宣帝は高祖の権威に縛られてはおらず、積極的に利用した。すでに高祖功臣が勢力を失っており、高祖の権威を利用することに障害は存在しなかったのである。むしろ、劉氏内部の帝位をめぐる争いのなかで、高祖の権威を継承することにより、他の劉氏に対して、自らの正統性を主張する必要が生じていたのである。
ここまで述べたように漢初の皇帝権力はこれを利用しつつ、一方でその束縛からの脱却を試みた。そして、武帝以降の皇帝による高祖の権威の利用は、高祖功臣を顧慮したものではなかった。
ところで、高祖の権威の利用や克服のために制定された高祖系列侯位次は、列侯の序列である。爵位は皇帝との距離を示すものである。列侯は二十等爵制最上位の爵位であるが、高祖系列侯位次はその列侯のなかにも序列を作り出すものであった。そして、この序列が朝位として用いられることで、皇帝と列侯の距離が可視化されたのである。そして列侯の序列、すなわち皇帝との距離は、列侯にとって重大な関心事であり、それゆえに高祖系列侯位次が高祖功臣の懐柔に意味を有した。
また、高祖系列侯位次が高祖期の功績を念頭に制定されたことで、高祖系列侯は高祖と強いつながりを有すると認識された。つまり、高祖系列侯位次は各時代の皇帝との距離を表したが、同時に高祖との距離も表した。それゆえに、前漢後期にも高祖の権威継承のために高祖系列侯位次が有効だったのである。
以上のように、前漢の政治史上、高祖の権威および高祖と高祖系列侯の関係は、大きな意義を有した。漢初にはこれの利用と克服が図られ、前漢の半ば以降はもっぱら利用が図られた。これは皇帝権力と高祖功臣勢力の強弱を背景とした。しかしながら、高祖と高祖系列侯の関係が前漢末にいたるまで影響力を有したことは事実である。先行研究では高祖と高祖系列侯の個人的な関係性は天下平定後、遅くとも武帝期までに解体されたとされるが、前漢後期まで政治的な意義を有したのである。今後、こうした視角からの前漢後期あるいは後漢の政治史および制度史の考察が必要になると考えられる。
フォーマット
内容記述タイプ Other
内容記述 application/pdf
著者版フラグ
出版タイプ VoR
出版タイプResource http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85
学位名
言語 ja
学位名 博士(史学)
学位名(英)
言語 en
学位名 Doctor of Philosophy in History
学位授与機関
学位授与機関識別子Scheme kakenhi
学位授与機関識別子 32606
言語 ja
学位授与機関名 学習院大学
学位授与機関(英)
学位授与機関識別子Scheme kakenhi
学位授与機関識別子 32606
言語 en
学位授与機関名 Gakushuin University
学位授与年月日
学位授与年月日 2020-09-17
学位授与番号
学位授与番号 32606乙第173号
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Ver.1 2023-05-15 15:03:58.828347
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