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  1. 学習院大学
  2. 学位論文
  3. 博士(表象文化学)
  4. 2018年度

近代視覚文化としてのマンガ:その文化史的位置づけと美学的意義について

http://hdl.handle.net/10959/00004713
http://hdl.handle.net/10959/00004713
79336932-11a1-4f72-b571-2dbee98e761b
名前 / ファイル ライセンス アクション
abstract_K283.pdf abstract_K283.pdf (216.0 kB)
ref_abstract_K283.pdf ref_abstract_K283.pdf (365.5 kB)
Item type 学位論文 / Thesis or Dissertation(1)
公開日 2020-02-07
タイトル
タイトル 近代視覚文化としてのマンガ:その文化史的位置づけと美学的意義について
言語 ja
タイトル
タイトル キンダイ シカク ブンカ トシテ ノ マンガ ソノ ブンカシテキ イチヅケ ト ビガクテキ イギ ニツイテ
言語 ja-Kana
言語
言語 jpn
資源タイプ
資源タイプ識別子 http://purl.org/coar/resource_type/c_db06
資源タイプ doctoral thesis
アクセス権
アクセス権 open access
アクセス権URI http://purl.org/coar/access_right/c_abf2
著者 三輪, 健太朗

× 三輪, 健太朗

WEKO 46833

ja 三輪, 健太朗

ja-Kana ミワ, ケンタロウ

en Miwa, Kentaro

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抄録
内容記述タイプ Abstract
内容記述 本論文は、マンガという研究対象を近代性という観点から捉えることで、その文化史的な位置づけを明らかにし、かつまたマンガに固有の美学的な意義を考察することを目的とする。そのために全体として大きく二部構成をとり、まず第一部「マンガと近代」では、マンガを他の様々な領域における近代性をめぐる議論と接続することを目指し、キッチュな大衆文化として産業発展したマンガが獲得しうる文化史的な意義を、たとえば映画などのテクノロジー的なメディアと同様に、モダニティ(近代性)の知覚と体験を媒体そのものにおいて表象している点に見出していく。次いで第二部「マンガの美学に向けて」では、他の近代文化と共有する意義だけでなく、マンガに固有の美学的な可能性を探究し、「絵と言葉」の関係や「コマ」の役割など、従来からマンガ独自の特徴とされてきた論点について、あくまでもモダニティとの関わりという観点を保持しつつ考察する。
学術的な場におけるマンガの研究は、いまだ草創期を脱していないとはいえ、様々なアプローチからの成果を徐々にあげつつある。しかし、マンガを近代の視覚文化史や近代性そのものとの関わりから理論的に考察するという課題に、まとまった紙幅を割いて正面から取り組んだ先行研究はほとんどない。本論文は、佐々木果『まんが史の基礎問題』(オフィスへリア、2012)など、関心の重なる少数の例外的な先行研究に示唆を受けつつ、また筆者も参加した論集『マンガ視覚文化論』(鈴木雅雄編、水声社、2017)の刊行などに見られる、マンガの近代史に対する視覚文化論的な関心の高まりに刺激されながら、上述の課題に向き合うことを目的としたものである。
 特に第一部までの議論では、取り上げるマンガの事例も一九世紀前半から二〇世紀初頭にかけてのものに絞り、マンガをモダニティの中に位置づけることをもっぱら試みている。たとえば序章で論及する「鉄道」は、まさしく近代の産業社会によって生み出された機械的な交通のテクノロジーであり、かつての旅の体験を決定的に変質させたといわれる。鉄道の車窓からの眺めは「パノラマ的」などとも形容され、瞬く間に過ぎ去ってしまう光景を動きの中で捉えるその視覚経験は、近代的な知覚の出現を徴づけるものであった。鉄道はその近代性によってこそ、後に登場する映画の黎明期を彩るモチーフともなった。だが実は、その鉄道開発が本格化したのと同時期に出発したのが近代におけるマンガであり、その祖とも目されるロドルフ・テプフェール(1799-1846)の作品は、じっくり眺められることを本分としていた古典的な絵画とは異なり、次々に提示される断片的なイメージの力を通して、近代的な視覚経験の地平を開くものであった。
 第一章では、そのテプフェールを皮切りに、世紀転換期へといたるマンガの近代史の中で、特にメルクマールとみなされる事例――具体的には、1830年前後のテプフェール、1880年代のA・B・フロスト、そして世紀転換期のR・F・アウトコールト――に目を向けることで、イメージの断片化、複製技術の使用、瞬間への傾斜、言葉の性質の変化、といったマンガと近代性をめぐる諸論点を炙り出していく。
 続く第二章、第三章では、マンガ史の内部から論点を抽出した第一章を受けて、19世紀以降の視覚文化全般に視野を広げ、より広い文脈からマンガを美学的な議論へと接続することを模索している。近代的な知覚の編成そのものを問題とするジョナサン・クレーリーや、近代における様々な視覚器具について論じるトム・ガニングなどの議論を検討しながら、マンガを近代史の中で捉えるための理論的な視座を探る。
決定的な役割を果たすのは、第三章で詳述されることになるモダニティの両義性という論点である。比較文学者のマテイ・カリネスクが整理するように、モダニティという観念が指すものは二つあり、進歩や理性を旗印として近代文明の発展を支えてきたブルジョワ的観念としての第一のモダニティと、逆に反ブルジョワ的な姿勢によって特徴づけられる「美的概念」としての第二のモダニティとは、19世紀初頭以来決定的に対立している。二つのモダニティの対立は「時間」への態度によっても整理できるが、第一の時間が資本主義文明を支える合理的で測定可能な時間だとすれば、第二の時間は個人的、主観的、想像的な持続を重視する。
ブルジョワ的観念や合理的な時間への批判を大きな特徴の一つとするモダニズム芸術は、美的概念たる第二のモダニティの典型をなしており、伝統的な美術史はそこにこそ近代芸術の使命を見出してきた。しかし、近代における大衆向け視覚文化の多くは、第一のモダニティがもたらすテクノロジーとの関係から生まれてきたものである。だからこそ、かつてヴァルター・ベンヤミンのような思想家が映画に見出していた可能性、すなわち近代的なテクノロジーを徹底させることによって近代性を内部から解放するという逆説的な美学の可能性がそこから開けてくる。マンガもまた、紙とペンさえあれば描けるという意味では古臭い技術でありながらも、伝統的な絵画のようにフレームの中で統一性や全体性や永遠性を志向するのではなく、テクノロジーによって先へ先へと駆り立てられる機械の論理へと接近し、断片的なイメージの継起性を通して近代的な知覚を表象している媒体であると解釈できる。したがって、マンガや映画のようなキッチュな大衆文化が獲得しうる美学的意義は、自らが第一のモダニティの産物であること、近代の時間の均質で合理的な側面を前提にしていることを積極的に引き受けた上で、その条件と戯れつつ、それを内部から脱臼し、転覆していく点に求められる。たとえばテプフェールは、横一列にひたすら延びてゆくストリップ状のフォーマットを用いて、近代が追い求める進歩の理想のアナロジーを提示しつつ、そこにアイロニーを込めてみせたのである。
 こうした第一部でのマンガの位置づけを踏まえて、第二部ではマンガに固有の美学の可能性が探求される。取り上げる事例も現代の作品まで広げ、より具体的にマンガ表現の分析を実践することがその目的の一部となる。まず第四章と第五章では「絵と言葉」の伝統的な二元論を念頭に置きながら、マンガにおけるイメージとテクストとの関係をめぐる論点に踏み込み、芸術の自律性を志向するモダニズム芸術とは対極に置かれる大衆文化としてのマンガが、イメージであることと意味づけられた物語であることとの緊張関係の中で生み出してきた多様な可能性について考察した。そのうち第五章では、諸星大二郎という具体的なマンガ家の作品分析を通して、マンガの絵を構成する(伝統的な絵画と比べて)簡略な描線が、だからこそ秘めている潜勢力について論じた。単純な描線に基づくマンガは、イメージに意味の複数性を導入し、絵と言葉の二分法的な関係そのものを切り崩しながら、イメージないしテクストの生成する瞬間を提示しうるのである。
 第六章では、「コマ」と時間をめぐる問いに焦点を当て、マンガがもたらす時間体験について、先行研究を検証しつつ論じた。実際には動かない絵の継起性から構成されるマンガは、一見すると、かつて哲学者のベルクソンが批判した「映画的」な認識の仕組み、すなわち静止した不動の点から運動を再構成するような認識の装置のようにも思われる。だからこそ、マンガにおいていかに豊かな時間が流れているかを主張することは、従来のマンガ論でも大きな課題とされ、様々な語りがなされてきた。しかし、近代性という観点からマンガを捉えようとする本論文では、単にマンガのコマが持つ柔軟で可塑的な(したがって非「映画的」な)特徴を美点として探るだけでなく、むしろ第一のモダニティがもたらす均質な時間を積極的に引き受けつつ、そこから可能性を引き出すという戦略に注目した。その中で取り上げた、いがらしみきおという作家は、あえて単純なコマ割りを用い、コマが時間や運動を分節することの限界をさらけ出すことで、かえってマンガのコマの中に異質な時間を導入しえているのである。
 第二部で多く取り上げた二〇世紀後半の現代日本マンガは、大衆文化として「物語」への強い志向を見せたメディアである。それはいわば、イメージを意味によって馴致し、読みやすくコマ割りすることで「物語」を効率よく伝達可能にした媒体である。だが同時に、イメージには常に意味から遊離しかねない可能性が潜んでおり、またコマ割りは常に異質な時間の侵攻にさらされる可能性を秘めている。いまなお近代性によって条件づけられた知覚と体験の中で生きる現代人にとって、その近代性を条件として生まれてきた近代視覚文化に触れ、それを分析し、また論じることは、世界そのものをどう見るかという問いに繋がっている。本論文は、マンガという対象を広い文脈の中に位置づけながら、また同時に具体的な表現への分析を行いながら、そうした問いへと開かれていくことを狙いとし、執筆された。
フォーマット
内容記述タイプ Other
内容記述 application/pdf
著者版フラグ
出版タイプ VoR
出版タイプResource http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85
学位名
言語 ja
学位名 博士(表象文化学)
学位名(英)
言語 en
学位名 Doctor of Philosophy in Cultural Studies on Corporeal and Visual Representation
学位授与機関
学位授与機関識別子Scheme kakenhi
学位授与機関識別子 32606
言語 ja
学位授与機関名 学習院大学
学位授与機関(英)
学位授与機関識別子Scheme kakenhi
学位授与機関識別子 32606
言語 en
学位授与機関名 Gakushuin University
学位授与年月日
学位授与年月日 2019-03-09
学位授与番号
学位授与番号 32606甲第283号
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Ver.1 2023-05-15 15:06:52.432216
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