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  1. 学習院大学
  2. 学位論文
  3. 博士(史学)
  4. 2017年度

近世・近代の山林と地域社会の研究 : 陸奥国津軽郡弘前藩領を事例に

http://hdl.handle.net/10959/00004381
http://hdl.handle.net/10959/00004381
d747a5ff-4c03-4dd6-b37c-904ee1823d48
名前 / ファイル ライセンス アクション
abstract_K271.pdf abstract_K271.pdf (202.7 kB)
ref_abstract_K271.pdf ref_abstract_K271.pdf (300.3 kB)
Item type 学位論文 / Thesis or Dissertation(1)
公開日 2018-08-02
タイトル
タイトル 近世・近代の山林と地域社会の研究 : 陸奥国津軽郡弘前藩領を事例に
言語 ja
タイトル
タイトル キンセイ キンダイ ノ サンリン ト チイキ シャカイ ノ ケンキュウ ムツノクニ ツガルグン ヒロサキハンリョウ オ ジレイ ニ
言語 ja-Kana
言語
言語 jpn
資源タイプ
資源タイプ識別子 http://purl.org/coar/resource_type/c_db06
資源タイプ doctoral thesis
アクセス権
アクセス権 open access
アクセス権URI http://purl.org/coar/access_right/c_abf2
著者 萱場, 真仁

× 萱場, 真仁

WEKO 47119

ja 萱場, 真仁

ja-Kana カヤバ, マサヒト

en Kayaba, Masahito

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抄録
内容記述タイプ Abstract
内容記述 近年環境破壊のさらなる拡大と、東北地方太平洋沖地震をはじめとする自然災害の頻発を背景として、自然と人間との関係を歴史的に解明しようとする「環境史」研究が活発となっている。これらは、山や海に生きる人々の「生業」に注目した際に、領主も単に収奪するのではなく、山林・漁場の保護といった「資源保全」の役割を果たすという互酬的関係に焦点が当てられたことによって登場した視点であった。日本近世史・近代史研究においても、これら視点を取り入れた研究は近年増加しつつあるように思える。しかし、地域によって領主支配のあり方や資源の実態は異なっており、個々の地域で領主らがどのように山林や河海を捉え、保護・管理・育成などの諸政策を敷いていたのか、領主・領民の関係はどうだったのかなどの分析・検討を加えなければ、近世から近代の地域社会に生きる人々にとって山野河海などの資源がいかなる存在であったのかについての正確な位置づけは難しいだろう。このうち、山林に関する研究に目を転じてみると、従来は領主や商人たちによる山林資源の利用に関する制度や実態に関する研究を中心に展開されてきた。その一方で、幕藩領主がいかにして山林資源を保護・育成してきたのかを政策史的に分析する林政史研究が近年盛んに行われてきており、これら研究成果は、いずれも領主が単に山林資源をめぐって百姓たちから収奪するだけの存在ではなかったことを明らかにしている点で、上記の研究課題に応えるものとして非常に示唆に富むものと言えるだろう。このような領主の動向に加えて、領民側からの分析が加えられれば、地域社会における山林資源の実態はより明らかになると思われる。筆者が検討対象とする弘前藩領の山林に関する研究についても、従来は領主による用材生産に関わる山林制度やその流通過程、および伐り出しに際しての林業技術に関する研究を中心に進められてきた傾向が見られる。近年は、用材生産に限らない領民たちの山林利用の一端や領内山林の様相を明らかにしようとする研究が蓄積されてきている。しかし、藩がどのような考えのもと領内山林を保護・育成していたのかについての分析がほとんど加えられておらず、領民たちの利用に対しての藩の考えや対応についても十分に検討されているとは言い難い。それにも関わらず、従来は百姓たちが領主や商人たちによって収奪されるだけの存在であったと結論づけられていたり、弘前藩林政の限界が論じられたりしてきていた。以上の研究動向と課題を踏まえ、本論文では近世から近代にかけての陸奥国弘前藩領を事例に、藩が領内の山林をどのように捉え、山林に関わる諸制度や政策を展開してきたのか、また、当該地域の領民たちによる山林利用の実態と、藩の政策とがどのように関わり合っていたのかを分析し、地域社会における山林の保護・育成・利用の過程を歴史的に明らかにすることを目的とする。そのうえで、近世・近代の山林が当該地域にとってどのような存在であったのかを考えるための端緒としていきたい。本論文は全六章で構成し、三章ずつ第一部と第二部に分けている。第一部では、弘前藩が山林をどのように捉え、制度や政策を展開していたのかを中心に検討し、それに対する領民たちの対応について、三章にわたって見ていった。弘前藩の山林制度や機構は、当初藩主導による保護・管理の体制が敷かれる形で展開・組織されていた。しかし、本来保護・管理を担う山役人たちによる取り締まりが弛緩し、領内における山林資源の枯渇が顕著になり始めると、藩は次第に山林の保護・育成の任を麓村に担わせ、藩がそれを監督する形へ転換し始めるようになる。麓村をはじめとする領民たちは日常的に山林を利用してきていたこともあり、藩は領内山林を「末々御山成立」となるようにするために、彼らを取り込むような形でそれらの実現を目指そうとしていたのであった。一方で、弘前藩は領内の豊富な山林資源を活用して、藩政初期から用材生産を恒常的に行っていた。特に、ヒバは「御停止木之第一」とされるほど重要視されており、山林の状況などを勘案して伐採する場所や時期を定めたり、領民たちによる伐採を禁じたりするなどの政策を敷いていた。さらに、時期が下るにつれて、弘前藩では用材や薪炭に限定されない山林が持つ機能(水源涵養機能・防風、防砂機能)についても認識するようになり、それら役割を担う山林資源を枯渇させないよう、たとえ飢饉などの非常時であったとしても、領民たちが利用する山林や樹種に制限を設けるなどの政策を敷いていた。しかし、領民たちにとってもヒバは日常的に使用する飯櫃や柄杓、箸、串などに使用されてきており、城下町では一定度これら製品の需要があった。幕末になると、藩は山林資源枯渇を理由に、これら木工品に対するヒバ材使用に制限を加えるようになるが、このことをめぐって城下の曲げ物職人たちと対立するようになる。ここからは、藩のみならず領民たちにとってもヒバが生活を支える樹種として、生活に根づいていたことが窺えよう。また、飢饉時には藩が設けた制限や規則を無視して、藩士・町人たちが領内山林を伐り荒らす事例も見られた。この時の山林に対する考え方は、山方、見継を担う麓村の百姓や藩士・町人たち、さらには藩内部においても各々の立場によって異なっていたことが窺え、飢饉を契機として、その利用のあり方をめぐって彼らは対立・錯綜していた。第二部では、近世から近代にかけて継承された山林と、それら山林をめぐる領民たちの動きを見てきた。近代以降、旧弘前藩領の村々では官林へ編入されることに対する抵抗の動きが活発に見られるようになる。これは、近世期の藩による林政の展開や領民による利用実態、あるいはそれをめぐる領主・領民間の関係に遡って考えることが可能なのではないかと筆者は考えた。そこで、近世から近代へと継承された山林のうち、秣場や肥料を刈り取る場としての山林、および水源涵養林、防風・防砂を目的に造成された海岸林の「屏風山」を事例に、それら山林と領内の人々との関係について三章にわたって検討した。弘前藩領の山林は、百姓たちが肥料を刈り取るための場所として重要な位置を占めており、彼らがその山林をめぐって強訴・騒動を起こすなかで使用していた「一統」という言葉からは、いかに山林が彼らにとって重要なものであったかが如実に表れている。そして、騒動によって勝ち取られた山林の使用権は、百姓たちの間で語り継がれ、戦後に至るまで「義民」の顕彰という形で継承されていった。ここからは、弘前藩領の人びとと山林の関係が密接であったことを窺い知ることができるだろう。また、財政基盤の大部分を米穀に依存していた弘前藩においては、田畑耕作のために水源を確保したり、飛砂被害を食い止めたりする山林も重要な位置を占めていた。そのため、これら山林は藩政初期から厳格に保護され、時代が下るにつれて、麓村の者をはじめとする領民たちの手によっても育成されてきた。しかし、麓村の者たちのなかには、これら山林が持つ禁伐の性質を逆手にとり、生活に必要な資材を得る場として利用したり、商人たちと結託してこれら山林から木を伐り出したりする動きを見せる者がいた。藩と領民との間では、領内山林に期待する役割についての考えがそれぞれ異なっており、それらをめぐって、両者の間にはずれが生じていたと言えよう。近代以降、官林となった山林を民有にしてほしいと求める運動が青森県内において大々的に展開するようになる。この一因は、近世期の領主・領民間における山林をめぐるずれが解消されないまま、近代に至るまで領民と山林の密接な関係が残存していたことにあると筆者は考える。本論文では、弘前藩(特にそのなかでも山林行政を管轄した山方)が、藩・村にとっての有用樹種や山林の持つ水源涵養機能など、山林や木々が果たす役割を広く捉え、「永ク御山之助情」や「諸木取続」の言葉に表れている通り、これら山林資源の持続的な利用が可能となるよう、近世期を通じて様々な施策を講じていたことが明らかとなった。その一方で、領民たちにとっても領内の山林は貴重な資源として捉えられてきており、その利用のあり方も家普請用材や薪炭材の伐り出し、肥料・飼料の刈り取り、木工品への加工など、村や町によって多様な姿を見せていたことも明らかとなった。それゆえ、藩は山林資源を枯渇させないよう、彼らによる利用を極力制限しつつ、一方では生業を保障するという均衡を保つことが常に要求されていたのである。領民たちにとって山林が貴重な資源であるという認識は、近代以降も継承され続け、それが青森県下で活発となる官林解放運動の契機の一つであると筆者は考える。一方で、領民たちによる保護・管理に限界があったことは、防風・防砂を目的として植栽された「屏風山」の保護・植林を担っていた野呂武左衛門の言葉からも明らかであり、これらからは、藩による領内山林の保護に係る諸政策や制度が、ある程度成果があったと言えよう。但し、本論文では、領内山林の保護・管理を管轄していた弘前藩の山方の意図や考えが、領民や藩の他部署のどこまで共有されていたものなのか、また、藩の山方のなかでも重要な位置にいたと思われる山方吟味役、山方締役の存在について十分に検討する機会が得られなかった。これらについては、今後も検討すべき課題であると考える。
フォーマット
内容記述タイプ Other
内容記述 application/pdf
著者版フラグ
出版タイプ VoR
出版タイプResource http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85
学位名
言語 ja
学位名 博士(史学)
学位名(英)
言語 en
学位名 Doctor of Philosophy in History
学位授与機関
学位授与機関識別子Scheme kakenhi
学位授与機関識別子 32606
言語 ja
学位授与機関名 学習院大学
学位授与機関(英)
学位授与機関識別子Scheme kakenhi
学位授与機関識別子 32606
言語 en
学位授与機関名 Gakushuin University
学位授与年月日
学位授与年月日 2018-03-31
学位授与番号
学位授与番号 32606甲第271号
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Ver.1 2023-05-15 15:03:55.948254
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