@article{oai:glim-re.repo.nii.ac.jp:00000751, author = {木村, 裕一 and Kimura, Yuichi}, issue = {18}, journal = {学習院大学人文科学論集, Gakushuin University studies in humanities}, month = {Oct}, note = {application/pdf, フーゴー・フォン・ホーフマンスタールの『手紙』(1902)は、世紀転換期における「言語危機」の問題を扱う上で欠かせない重要なテクストとして、これまでさまざまな側面から読解が試みられてきた。本論ではこのテクストをレトリックの問題と関係付けて論じている。とりわけ注目すべきは、テクスト内で生じるプロソポポイアと濫喩のあいだの関係の変化である。プロソポポイアとは死者や不在のもの、無生物など、本来声を持たないものを、あたかもそれ自身が話しているかのように表現する修辞技法である。この修辞技法の前提になっているのは、話すことのできないはずのものに声を与えることであり、その声を発するための顔を修辞的な効果のなかで作り出すことである。しかしこの修辞的な効果とは、死者や不在のものとの「対話」という不可能な幻想そのものでもある。チャンドス卿自身の説明によれば、以前には古い書物を通じた対話、すなわち、それらの書物の著者がすでに不在である限りにおいて、上で述べたような対話が可能であったという。しかしチャンドス卿を苛む症状は、このような「対話」を不可能にし、それまで彼に認識をもたらしてきた虚構の声の断絶を引き起こすことになる。声の断絶はさまざまなイメージの崩壊を伴い、入れ替わるように前面に出てくるのは、言葉によっては表すことのできない、名づけることのできないものの表現である。これらの表現の中で明るみに出るのは、プロソポポイアによって与えられていた声や顔といった幻想の終焉であり、その幻想によって隠されていた死や不在性である。このような暴露の中でプロソポポイアは、本来名づけることのできないものに名を与える修辞技法である濫喩へと変化していく。したがって、プロソポポイアと濫喩のあいだの関係の変化は、チャンドス卿における「言語危機」の表現と大きな関わりを持っている。この意味で、『手紙』というテクストを出発点として、世紀転換期の言説空間の一特徴としての「言語危機」を、レトリックという観点から再検討する可能性を見出すことができる。}, pages = {185--202}, title = {,Sprachkrise' darstellen : Zum Abbruch der Stimme und der rhetorischen Struktur in Hofmannsthals Ein Brief}, year = {2009}, yomi = {キムラ, ユウイチ} }