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  1. 学習院大学
  2. 学位論文
  3. 博士(美術史学)
  4. 2021年度

合戦絵研究 : 軍記物語の絵画化

http://hdl.handle.net/10959/00005260
http://hdl.handle.net/10959/00005260
d18d2c34-9ff0-4ff7-b7f4-a6e36ecf4df1
名前 / ファイル ライセンス アクション
abstract_O177.pdf abstract_O177.pdf (301.4 kB)
ref_abstract_O177.pdf ref_abstract_O177.pdf (416.6 kB)
Item type 学位論文 / Thesis or Dissertation(1)
公開日 2022-02-15
タイトル
タイトル 合戦絵研究 : 軍記物語の絵画化
言語 ja
タイトル
タイトル カッセン エ ケンキュウ グンキ モノガタリ ノ カイガカ
言語 ja-Kana
言語
言語 jpn
資源タイプ
資源タイプ識別子 http://purl.org/coar/resource_type/c_db06
資源タイプ doctoral thesis
アクセス権
アクセス権 open access
アクセス権URI http://purl.org/coar/access_right/c_abf2
著者 柳澤, 恵理子

× 柳澤, 恵理子

WEKO 47648
CiNii ID 9000264866822

ja 柳澤, 恵理子

ja-Kana ヤナギサワ, エリコ

en Yanagisawa, Eriko

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抄録
内容記述タイプ Abstract
内容記述 本論文において「合戦絵」とは、合戦を主題とした絵画を指す。現存作例では「前九年合戦絵巻」「後三年合戦絵巻」といった中世合戦絵巻をはじめとして、「保元平治合戦図屏風」「一の谷・屋島合戦図屏風」などの軍記物語をベースにした近世合戦図屏風、「関ケ原合戦図屏風」といった戦国合戦図屏風が含まれる。従来の合戦絵研究においては、もっぱら中世合戦絵巻と近世の戦国合戦図屏風が注目されてきた傾向にあり、戦国合戦図屏風と同時期に、しかも圧倒的に数多く作られているはずの「一の谷・屋島合戦図屏風」は見過ごされてきた。本論文は、第一に“軍記物語の絵画化”を合戦絵研究の中の一つのテーマとして位置付けることで、合戦絵の主題の拡がりを再確認し、更にはそれらが近世において果たしてきた役割を明らかにする。そして第二に、主題を問わず合戦が描かれた絵画の合戦図様に着目し、その転用と継承について論じる。この二本の柱でもって、中世から近世へと繋がる合戦絵の展開とその構造を明らかにしていくものである。
第一章は、「『保元物語』『平治物語』の絵画化」というテーマで、第一節で米国・メトロポリタン美術館所蔵の「保元平治合戦図屏風」(以下、MET本)を、第二節で岡山県立美術館所蔵の「保元合戦図屏風」(以下、岡山県美本)を取り上げた。
まず、MET本は、流布本系統古活字本『保元物語』『平治物語』の本文に忠実に描かれた作例であり、従来言われてきたように為朝や義朝の活躍ぶりが目立って描かれる一方で、右隻「保元合戦図」では崇徳上皇にも焦点があてられており、“崇徳上皇譚”としての側面が感じられた。また、絵画的特徴としては、絵巻の伝統的な描法や図様、同時代絵画の影響が強く感じられる作例であり、特に、左隻「平治合戦図」における合戦図様に関しては、鎌倉時代に制作され、江戸時代以降の模本が多く残る「平治物語絵巻 六波羅合戦巻」(以下、「六波羅合戦巻」)から直接図様を転用している可能性を指摘した。
一方で、岡山県美本は、絵画とテキストの関係という点においては、MET本ほど一つのテキストに依拠しておらず、複数のテキストが典拠となっていることが分かった。また、描かれた場面は同時代の奈良絵本・絵入り版本においても絵画化されている場面であり、図様に関しても、それらを参考にしたと思われるものがいくつか見られた。おそらく岡山県美本は、保元・平治絵の定型がある程度確立されてきた頃の作例であると考えられる。両作例は同じ物語を題
材にしていても、その様相は大きく異なるものであった。
第二章では、「『平家物語』の絵画化」というテーマで、「一の谷・屋島合戦図屏風」について考察した。
第一節では、智積院本系統という「一の谷・屋島合戦図屏風」の中でも初期の制作とされ、類似の構図・図様を持つ作例群について、テキストを参照しながら各場面の図様の比較を行った。その結果、智積院本系統作例の中でも更に複数の系統に分類できることが明らかとなった。また、これまでテキストを重視して制作されたと漠然と考えられてきた智積院本系統作例は、典拠となるテキストが統一されていないことが分かり、先行研究でも指摘されてきたように、智積院本系統作例にもそれぞれ先行する作例があると考えられ、これらは初期作例群というよりも、近世を通して繰り返し制作され「一の谷・屋島合戦図屏風」の中で最も流布した“型”であったのではないかと推測した。
第二節では、個人所蔵「一の谷合戦図屏風」(以下、個人本)について、各場面の図様を考察した。その結果、個人本は智積院本系統作例に比べて格段に合戦描写が増えており、絵師が既存の図様にとらわれず、新たな図様や場面を創造している作例であることが分かった。これまでは、智積院本系統作例こそが物語をきちんと理解したうえで制作されたもので、添景の合戦場面が多く描きこまれた「一の谷・屋島合戦図屏風」はテキストから離れているとされてきたが、同じような型で作られ続けた智積院本系統作例よりも、むしろ個人本のような作例の方が、絵師がテキストを読み込んだうえで作られたものだと言える。個人本は17世紀以降、多様化していく「一の谷・屋島合戦図屏風」の中で、絵師が先行作例を踏襲しながらもテキストに立ち戻って制作した好例を示すものなのである。
第三節では、耕三寺博物館所蔵「源平合戦図屏風」(以下、耕三寺本)について、各場面の図様を考察した。その結果、耕三寺本は既存の「一の谷・屋島合戦図屏風」の図様を踏襲しつつも、全体的に独自性の強い図様を用いており、それは、《千手》《通盛》など、『平家物語』を題材にした謡曲を典拠としていることが分かった。また、〈坂落〉の場面に「がんせきおとし」という題箋が貼られており、これは、『摂津名所図会』の一の谷の景観図に記されている地名であること、その他、平家の城郭が同時代の戦国合戦図屏風に描かれた城郭に近似していることから、耕三寺本は、物語テキストから直接的に絵画化されたものというより、謡曲や名所図会、戦国合戦図屏風といった同時代の異なる媒体、異なる主題の作品を様々に取り入れた作例であると言える。
「一の谷・屋島合戦図屏風」の中には、宇和島伊達家や、紀州徳川家の菩提寺である池上本門寺、近世期に松平越前守が藩主を務めた松江の八雲本陣など、親藩のところに伝来している作例がいくつか存在し、これらは源氏である徳川政権を称えるものとして制作されたと考えられる。一方、絵師が物語テキストを新たに解釈して制作した個人本や、『平家物語』を題材にした謡曲が反映されている耕三寺本など、多彩な「一の谷・屋島合戦図屏風」の存在を鑑みると、絵師や注文主の物語そのものに対する関心の高さが窺える。近世を通して制作され続けてきたのは、単なる権威の象徴としてだけでなく、物語から派生した謡曲や幸若舞で再構築された『平家物語』の世界を、武士達へ伝えるための文化的な装置として機能していたからであると考えられる。
第二章の最後は補論として「一の谷・屋島合戦図屏風」に描かれた武蔵坊弁慶の描写に着目した。多くの作例において弁慶は、「白頭巾もしくは白鉢巻をしめて七つ道具を背負った色黒の僧兵姿」という、室町時代の『義経記』以降に形成されていった人物像で描かれているが、智積院本系統の大英博物館本と高松市A本に関しては、一般の武士と変わらぬ姿で描かれていることが分かった。このことから、両作例の原本は、『義経記』以降の弁慶像が絵画において定着・流布する以前に制作されたものと考えられ、今後、智積院本系統の更なる考察が必要であると主張した。
第三章では、「描かれ続ける合戦―合戦図様の継承と転用―」というテーマで、第一節では、主題や制作背景の異なる絵画間において共通する合戦図様に注目し、その描かれ方について考察していった。初めに、合戦場面の描かれた中近世絵画において共通する合戦図様を取り上げていったが、主題を問わず、合戦が描かれる際には〈落馬する〉〈首を切る〉といった合戦図様が広く用いられていること分かった。一方で、「保元平治合戦図屏風」「一の谷・屋島合戦図屏風」の他、「太平記絵巻」や「東照社縁起絵巻」、「石山寺縁起絵巻」など、海北友雪や狩野探幽、谷文晁といった御用絵師による作例に、特に「六波羅合戦巻」の図様が転用されていることを改めて確認することができた。また、近年では、17世紀の源平合戦図屏風に近い雰囲気を持つ「耳川合戦図屏風」という戦国合戦図屏風にも転用されていることが判明した。このことから、「六波羅合戦巻」は、近世における合戦絵制作の代表的な手本として位置付けられていたのであり、絵師達がこれらの図様を使用した背景には、自分こそが合戦絵を制作する正系の絵師であると、証明するためであったと考えられる。
第二節では、「安徳天皇縁起絵」と岡田美術館所蔵「平家物語図屏風」を取り上げ、合戦場面の考察を中心に作品論を展開していった。その結果、両作例には、〈落馬する〉などの添景の合戦図様や、一連の「一の谷・屋島合戦図屏風」に見られる図様が用いられていたが、「六波羅合戦巻」の図様の転用は殆ど見られなかった。その理由として、両作例には合戦絵としての機能が薄く、敢えて「六波羅合戦巻」から図様を転用する必要がなかったからであると考える。
以上、中世の絵画から軍記物語に取材した近世の合戦図屏風、更に戦国合戦図屏風までを概観した時に、合戦場面に描かれる図様は、1)〈落馬する〉〈髻を掴んで首を切る〉といった添景の合戦図様、2)『平家物語』における一の谷合戦、屋島合戦など、特定の合戦場面でのみ共通する図様、3)「六波羅合戦巻」から転用されている図様と、現段階では三つのタイプに分類されることが分かった。こうした合戦図様は、合戦絵の主題として軍記物語が選ばれなくなっていく近代以降においても、主題を超えて受け継がれていくと考えられる。終章では、合戦絵の様相が大きく変わっていく幕末以降、合戦絵という“フレーム”は如何なるものであったのかを考え、合戦絵が近代において果たした役割を論じることを今後の課題として挙げた。
フォーマット
内容記述タイプ Other
内容記述 application/pdf
著者版フラグ
出版タイプ VoR
出版タイプResource http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85
学位名
言語 ja
学位名 博士(美術史学)
学位名(英)
言語 en
学位名 Doctor of Philosophy in Art History
学位授与機関
学位授与機関識別子Scheme kakenhi
学位授与機関識別子 32606
言語 ja
学位授与機関名 学習院大学
学位授与機関(英)
学位授与機関識別子Scheme kakenhi
学位授与機関識別子 32606
言語 en
学位授与機関名 Gakushuin University
学位授与年月日
学位授与年月日 2021-11-18
学位授与番号
学位授与番号 32606乙第177号
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Ver.1 2023-05-15 14:48:56.108434
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