@phdthesis{oai:glim-re.repo.nii.ac.jp:00004862, author = {毛利, 香奈子 and Mori, Kanako}, month = {2021-02-25, 2021-12-09}, note = {本論文は、序論、本論(四部九章)、補遺(二章)、結論という構成で、中世王朝物語『いはでしのぶ』を読み解き、王朝物語の終焉の展望を試みるものである。  他の中世王朝物語と同様に『いはでしのぶ』の研究は、いかに先行作品の影響を受けているかという点に重きが置かれてきた。その上で、作品自体が持つ主題や構成、文体などの考察がなされるのが主流であった。しかし本作の中には、先行作品を踏襲しているかに見えて、ズレや違いを含んでいる箇所が少なからず存在している。模倣することが主たる目的とされがちな中世王朝物語だが、むしろその真価は、模倣の中に垣間見える差異にこそ凝縮されていると考えることもできよう。本論では、先行王朝物語文学に通底するモチーフや事象を通して『いはでしのぶ』を読み直すことで、本作が先行作品の影響を受けつつも、それらとの差別化を図ろうとした痕跡を探る。模倣するだけで事足りたはずの叙述の中に、差異を生じさせざるを得なかったのは、先行作品のモチーフや事象を、『いはでしのぶ』という作品の本質に沿う形に変化させたからであろう。先行作品との類似と差異の間隙から見えてくるのは、『いはでしのぶ』という作品の本質の一端だと考えられるのである。 以下、本論文の叙述の順に従って、概要を述べる。 序論では、『いはでしのぶ』の概要、先行研究を確認し、本論文の目的を提示した。 第Ⅰ部「見ること」「似ること」では、本作に多く叙述される「似る」という現象を、それを見出す「見る」という行為との相関関係に目を配りつつ、一品宮・二位中将・右大将を中心に考察した。第一章では先行作品が意識された「碁」と「氷」の場面から、一品宮を「美と相似の基準」とする物語の論理を見出した。第二章では、作品前半において二位中将が内大臣の「たぐひ」となっていく過程を確認した。それは他の「似ること」とは異なる、二位中将が内大臣の生を再現するための、新たな相似の方法であることを論じた。第三章では、「似ること」が溢れる作品後半において、右大将が「似ること」ができない人物として造型されていることに注目した。右大将は本作の結末において、容貌が「似ること」に価値を見出さない世界へと旅立っていく。その背景を探る中で、美しく整えられた「一品宮中心世界」は異分子を排除するだけでなく、その救済をも行っていることを論じた。 第Ⅱ部「手紙」では、第Ⅰ部で明らかになった物語前半(二位中将)と後半(右大将)が持つ価値観の違いを、物語文学に頻出するモチーフである「手紙」を通して検討した。第一章では、本作冒頭から重要なアイテムとして登場する手紙から、書かれたものは「まこと」を、音や声は「いつはり」を表すものであるという論理の存在を明らかにした。また、それらの食い違いから意思疎通不全に陥る内大臣と一品宮の「仲立ち」として、二位中将が手紙を媒介とした関係修復を図っていることを論じた。この「仲立ち」という役割が、二位中将が内大臣に「似ること」を可能にしている一面もある。一方、右大将は「まこと」が書かれた手紙/手習をひたすら隠す存在であることに、第二章では注目した。隠された手紙/手習は宰相中将に発見され、右大将は唯一自身の「まこと」を知る存在である宰相中将とともに吉野へ旅立つ。中世らしい遁世譚に見える本作の結末は手紙というモチーフを通して見ても、右大将を救済していると読み取ることができる。また、いずれの手紙も、「一品宮中心世界」の確立を助けるものであることも論じた。 第Ⅲ部「音楽」でも第Ⅰ部・第Ⅱ部に引き続き、物語内部に併存する異なる価値観について、「音楽」を奏でる楽器を通して検討した。第一章では、主に物語前半において一品宮の持ち物として叙述される、琴の琴について考察を加えた。作中の叙述から、一品宮の琴の琴は最良の音とされ、その音に「合はせ」られる音色か否かという評価軸が、本作の音楽には存在していることを明らかにした。一品宮の琴の琴は、楽器と奏法がともに一品宮腹若君に継承されている。音楽でも血統でも、一品宮腹若君によって白河院系と一条院系の二つ皇統が融合していることを指摘した。第二章では、主に物語後半において右大将の持ち物として叙述される笛について考察を加えた。他の楽器の基準となる音を奏でる一品宮の琴の琴に対し、右大将の笛は人を「驚か」せる異分子の音として評価されていく。その音の性質と同じように、右大将自身は異分子として物語世界から放逐されていくが、その後新二位中将によってその音が再現されることで、右大将は鎮魂され、「一品宮中心世界」の平穏が保たれることを論じた。 第Ⅳ部「密通」では、第Ⅰ部~第Ⅲ部で検討してきた、美しく整えられた「一品宮中心世界」が、いかなる「乱れ」を整えて成立したかに立ち返って、物語の根幹部分である前史に注目して論じた。第一章では、本作中最大の動乱の原因である「一品宮の密通」が描かれる、中世王朝物語『我が身にたどる姫君』との比較を試みた。二作品の比較から見出せたのは『いはでしのぶ』の一品宮の、破局を受容するという特徴である。それは物語世界にも伝播し、異分子の救済や皇統の融合につながったと論じた。第二章では、密通という物語世界にとっての瑕疵が、具体的にはどのように回復されたかについて考察を加えた。一品宮の美質だけでは回復できない破局は、密通の結果として存在する子供が賛美されることで回復している。本作は複数の密通とその子供の連関によって、過去が赦されていく「回復志向の物語」であると結論付けた。 なお、補遺として二篇の論考を組み込んだ。いずれも『いはでしのぶ』の前後に成立した作品について論じたものである。第一章では『いはでしのぶ』内部にも多く用いられる「まもる」という表現に注目し、『源氏物語』以降の「まもる」に付与された長編物語の一手法としての役割について論じた。第二章では、『いはでしのぶ』の影響を受けた後継作品である『恋路ゆかしき大将』について、前史から続く報復の存在に注目して考察した。いずれの作品にも『いはでしのぶ』とのつながりを見出すことができ、本作の物語文学史上の立ち位置がより明らかになった。 結論では、本論文のまとめおよび、そこから浮かび上がった問題点、課題を提示した。物語前半で王朝物語世界を理想的な姿に回復させ、さらに物語後半でその価値を転倒させる世界の存在を描くことで、本作は王朝物語の世界自体を「前史」という不可侵領域に封じた―つまり、物語文学が中世という時代の変化に飲み込まれる中で、王朝物語の根幹を守ろうとした作品であることを指摘した。『いはでしのぶ』は、物語文学の転換期である鎌倉時代前半において、王朝物語の終焉を表象するにふさわしい作品であると結論付けた。, application/pdf}, school = {学習院大学, Gakushuin University}, title = {王朝物語の終焉―『いはでしのぶ』}, year = {}, yomi = {モウリ, カナコ} }