@phdthesis{oai:glim-re.repo.nii.ac.jp:00004856, author = {段, 宇 and Duan, Yu}, month = {2021-02-25, 2021-12-09}, note = {周知の通り、秦始皇帝は歴史上の重要な人物である。紀元前二二一年に東方大平原の初統一を果たした彼は、専制君主制度を確立し、東アジア文明圏に多大な影響を与えたので、名君の誉れ高かった半面がある。しかし、この始皇帝は方術に惑わされ、知識人を弾圧し、膨大な土木工事を造営して多くの民を苦しめ、彼が建てた強大な秦帝国をわずか十五年の短命政権におわったので、非道な暴君としての姿で語られてきた。波乱に満ちた生涯をたどった始皇帝は、絶えない争議を後世に残した。 秦始皇帝は歴史上実在した人物であるが、後世さまざまな評価が行われてきた。とくに始皇帝という評価が分かれる人物に関しては後世の史料は豊富である。本論文は文献史料のなかで秦の始皇帝に関する言説を分析して、始皇帝像に堆積する累重的時代像の層序を明らかにし、または創作と受容の二つの側面から秦始皇帝像に関する歴史知識が変容する実態に迫り、各時代において歴史言説の空間を論ずるものである。また、通時的に始皇帝評価の様相をさぐって、歴史上の学問を徹底的に整理することは、むしろ後世の脚色を排除し、その人物の実態に迫るために有効でもある。本論文の第一部分「秦始皇帝像研究」は秦の始皇帝像を対象とする研究である。秦の始皇帝は歴史上実在した人物であるが、後世さまざまな評価が行われてきた。とくに始皇帝という評価が分かれる人物に関しては後世の史料は豊富である。 本論文は文献史料のなかで秦始皇帝に関する言説を分析して、始皇帝像に堆積する累重的時代像の層序を明らかにし、または創作と受容の二つの側面から秦始皇帝像に関する歴史知識が変容する実態に迫り、各時代において歴史言説の空間を論ずるものである。また、通時的に始皇帝評価の様相をさぐって、歴史上の学問を徹底的に整理することは、むしろ後世の脚色を排除し、その人物の実態に迫るために有効でもある。 また、秦始皇帝像研究において発見した若干の問題を深く討論を提起し、前文が述べたような正統論争問題、宋代の士大夫政治問題および政治と思想・学術の関係などで論述を行う。国家的意識形態と歴史叙述の相互作用を対象とする研究でもある。唐宋変革をへて五代・宋にかけて大きく変容した北宋時期は文化の開花期とされている。士大夫社会が完成したことで、特徴が鮮明な士大夫政治文化が生み出されたと同時に、木版印刷術の普及で言説空間の様相が不可逆的に変革した。宋時期において、皇帝が「士大夫と共に天下を治む」の意味は、士大夫の自主的判断を前提とする説得である側面もある。しかし、士大夫が創作の自由を有するという意味ではなく、皇帝権力がいわゆる毛細管作用で言説空間を規範するというのがその前提にある。本論文は文献史料を分析することで、北宋時期におけるこの作用の実態を解き明かす。 本論文の第一章「概括的秦始皇帝像」では始皇帝像を軸にして文化的時代区分論を打ち明かすものである。秦始皇帝像は千年ごとに一回の大きな変化があり、過失によって亡国した君主から知識人を弾圧する異民族の暴君に転回した後、天才をふるって中華への道を拓く革命家として再発見されたことがある。 第二章「始皇帝像の変容と再創作」では唐五代時期までの始皇帝像の時代的特徴を検討している。唐五代時期に「記憶の共同体」は形成しておらず、または史部文献が比較的に軽視された結果、始皇帝像が伝説に影響されることを解明する。 第三章「始皇帝像の普及と再構築」では宋遼金時期において始皇帝像の変遷を検討する。科挙社会の展開、士大夫的政治文化の浸透および知識の普及が影響力を発揮するほかには、真宗皇帝の意見によって、秦の始皇帝を批判することで秦王朝の正統性を否定するのは対遼宣伝戦略の一環とされてきた。 第四章「甦る始皇帝の維新時代」では明治維新期の論説と新聞記事を手掛かりにして、日本において英雄待望論が沸き上がるのと同時に、始皇帝が英雄として再編された実態を分析する。 第五章「始皇帝を待望する中国」では近代中国での始皇帝関係論説を切り口として、明治維新期に形成した始皇帝像が中国へ波及した様相を考え、日中の思想的対話する情状を解明するほかに、この動きを文化大革命まで一線を引き試みである。 第二部「北宋政治思想史研究」は宋代の政治思想および学術を研究の対象とし、宋代における正統観念の変遷および士大夫政治が成立する要因を考察する。 第六章「『統一』の変容と北宋建国期政治思想」では宋の建国期における「統一」という政治的目標を取り上げ、それを掲揚する内在的論理を明らかにした。この「統一」は改正を加えなくても皇帝権力が解釈を変更したことで、意味が修正され、後世へ影響を与える。 第七章「文化競争と真宗の泰山封禅」では真宗が行った国家儀礼に注目し、その起因が遼の宣伝戦への反発することと判明した上で、正統思想の次元で真宗が主導する反撃が内包する論理を釈明した。また、この時期において秦王朝史観が変化する原因を解き明かした。 第八章「金石学の成立と発展―士大夫社会からの視座―」では古物を好む趣味が学問へ転回する様相に注目し、士大夫社会の視座で金石学の特徴を考察した。特にその地域性を有するのを強調した。 第九章「金石学の変貌―士大夫政治の挫折―」では金石学と国家儀礼との関係を分析し、皇帝権力の影響で金石学が儀礼制度から脱皮する、およびその後に学術の空間が縮小する実態に迫る。 本論文は歴史上の言説空間に対する考察である。始皇帝像をめぐる歴史的脈絡に対する分析を通じて、象徴と記憶の歴史学から「歴史の場」に遡る試みである。この考察の最終目的は、洗練された礼と法を生み出した中国社会、監禁と自由意志が同居する中国の歴史を理解する一助とするのである。, application/pdf}, school = {学習院大学, Gakushuin University}, title = {始皇帝像の歴史的変遷―史学史的考察―}, year = {} }