@article{oai:glim-re.repo.nii.ac.jp:00004814, author = {吉野, 由利 and Yoshino, Yuri}, issue = {18}, journal = {人文}, month = {Mar}, note = {application/pdf, 本稿は、ロマン派期女性作家が「公共圏」の一大形態である「文芸共和国」にどのような可能 性を見出したのか、フランシス・バーニー『放浪者』(1814)とマライア・エッジワースの『パ トロニッジ』(1814)の比較により検証する。ハーバーマスの「公共圏」のモデルは、ジェンダ ーを看過するとして、批判的な論考を招いてきた。しかし、1790 年代イングランドの公共圏の 「理性的」言語は、時に「放浪する女」であったメアリ・ウルフストンクラフトらに、女性の役 割を生殖に限定する「情動的な」ナショナリズム言説に対抗することを可能にした、と積極的に 捉えたアンジェラ・キーンなどの批評家もいる。本論文は、キーンやハリエット・ゲストらの先 行研究を発展させ、「曖昧な」ナショナル・アイデンティティに悩んだバーニーとエッジワース を対象として先行研究を補う。『放浪者』と『パトロニッジ』がどのようなパトリオットを理想 として表象し、「公共圏」でいかに各著者のナショナル・アイデンティティを再構築しているか 探求する。}, pages = {57--80}, title = {女性の越境と「文芸共和国」 : 『放浪者』と『パトロニッジ』におけるナショナル・アイデンティティの構築と「公共圏」の可能性}, year = {2020}, yomi = {ヨシノ, ユリ} }