@article{oai:glim-re.repo.nii.ac.jp:00003993, author = {陳, 繼東 and Chen, Jidong}, issue = {7}, journal = {言語 文化 社会, Language, Culture and Society}, month = {Mar}, note = {application/pdf, 章炳麟の思想の研究に当たっては、仏教との関係が一つの重要な問題となる。しかし、従来、彼の仏教認識への分析は、主に一九〇三年以後の時期に関心が向けられてきた。それは、一九〇三年の「蘇報事件」で逮捕された章炳麟が、獄中で仏教典籍を精読してその思想が大きく変化し、特に、一九〇六年に出獄して日本に亡命して以降は、「宗教」と「国粋」こそが救国の二つの道だと主張するなど、仏教が彼の理論の核心となったためである。だが、さらに追究すべき問題は、章炳麟のこの思想的変化は、偶然的な異変なのか、それともそれ以前からの彼の思想の自然な帰趨なのか、という点であろう。『訄書』初刻本(一九〇〇)は、彼の初期の仏教認識を示す最も重要な書である。一八九四〜一九〇〇年に書かれた五十余の論文からなる本書の中で、章炳麟は、儒学的立場に立ちながら、諸子学や洋学、諸宗教など、広範なテーマについて論じているが、そのうち少なくとも十二篇の論文の中で仏教に論及している。だが、従来の研究では、この書の中での仏教認識に対する関心は極めて薄く、せいぜいのところ、無神論と唯物論的立場から仏教批判がなされたという見方や、西洋思想の共通性という側面から仏教に対して期待を寄せ、こうした仏教への肯定的評価が後の思想に継承されたという指摘が存在する程度である。だが、実際には、この書の中で示されている仏教認識は多様なもので、後の思想とのつながりも複雑であり、「批判」や「期待」といった形で簡単に片づけられるものではない。そこで、本稿では、『訄書』初刻本について、三つの側面から章炳麟の仏教認識を考察する。第一は、「仏教と自然科学との関連性の問題」である。章炳麟の議論の特徴として、単に仏教の言説に天文学・遺伝学・生物学などと一致するものがあるという事実が指摘されるのみならず、自然科学によって、まさに仏教の正しさが証明されたという認識が示されている点がある。そして、彼の意図は、西洋の自然科学と匹敵する考え方・学問が中国にも存在していると主張することにあると考えられる。第二は、「社会や歴史に対する仏教的解釈の有効性の問題」である。仏教の中には、今日の歴史を予見したような説から、帝王や教主の誕生神話のようなものまで多様な言説が存在するが、それらの中には、中国の五行感生説への批判や言語の起源に関する説明として有効なものがある。また、仏教におけるサンスクリット語とパーリ語による教義の相違の問題は、儒教の今文と古文による経学論争の構図と相似しているという一面もある。これらの諸問題の中から、章炳麟は、仏教の知の積極的な役割を見出そうとした。最後は「仏教評価の問題」である。章炳麟は、仏教の平等観や鬼神観念への批判を高く評価しており、決して仏教を否定しようとしたわけではないが、他方で、仏教教義の中にある科学や社会の現状に相応しくない内容に対しては訂正が必要であるとの姿勢を示している。以上の考察から、この時期までの章炳麟は「仏教を好まず」「仏教を取らず」「仏教に興味を持たなかった」という旧来有力であった説は修正される必要があることが分かる。また、彼の仏教批判は「古今文経学の門戸の見」によるという説も、疑わしい。また、『訄書』初刻本における仏教認識の特徴としては、仏教の知的有効性が重視される一方、仏教の倫理性や哲学性への関心が希薄であるという点が挙げられ、一九〇三年以降の章炳麟が、仏教の知的側面のみでなく、その倫理性や哲学性をも重視していたのとはかなりの相違が見られる。}, pages = {1--27}, title = {從<<訄書>>初刻本(一九〇〇)看章炳麟的早期佛教認識}, year = {2009}, yomi = {チン, ケイトウ} }