{"created":"2023-05-15T14:23:13.629793+00:00","id":3878,"links":{},"metadata":{"_buckets":{"deposit":"db5103e8-a935-4d3c-8b63-fda900313a28"},"_deposit":{"created_by":15,"id":"3878","owners":[15],"pid":{"revision_id":0,"type":"depid","value":"3878"},"status":"published"},"_oai":{"id":"oai:glim-re.repo.nii.ac.jp:00003878","sets":["1253:135:139:1328"]},"author_link":["47125","47126"],"item_10006_date_granted_44":{"attribute_name":"学位授与年月日","attribute_value_mlt":[{"subitem_dategranted":"2015-07-09"}]},"item_10006_degree_grantor_42":{"attribute_name":"学位授与機関","attribute_value_mlt":[{"subitem_degreegrantor":[{"subitem_degreegrantor_language":"ja","subitem_degreegrantor_name":"学習院大学"}],"subitem_degreegrantor_identifier":[{"subitem_degreegrantor_identifier_name":"32606","subitem_degreegrantor_identifier_scheme":"kakenhi"}]}]},"item_10006_degree_grantor_49":{"attribute_name":"学位授与機関(英)","attribute_value_mlt":[{"subitem_degreegrantor":[{"subitem_degreegrantor_language":"en","subitem_degreegrantor_name":"Gakushuin 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転法輪相談条々』である。神宮伝奏の就任者が頻繁に交代した最大の理由は、こうした日常生活における厳格な規範の存在であったことを指摘できる。第3章「近世神宮伝奏の記録」:18世紀半ばから19世紀後半にかけて、多くの神宮上卿が盛んにその記録の作成、親族を始めとする神宮上卿経験者の記録の披見、書写を行った。特に中山愛親が定めた神宮上卿在任中の心得であった「神宮定条々」は延べ6人の神宮上卿によって半世紀以上にわたり、披見、書写され続けた。第3部「神宮伝奏の機能」第1章「戦国織豊期の神宮伝奏」:中御門宣胤や柳原資定の神宮伝奏としての活動をみると、朝廷・幕府ともに衰微するなかで神宮式年遷宮が途絶、仮殿遷宮も容易ではなかった当時においても、朝廷における神宮行政は、天皇―神宮伝奏のラインによって行われ、宣胤や資定は、主体的に神宮伝奏を勤め、単に奏請と伝宣を行うだけではなく、神宮行政の責任者として積極的にその牽引役を果たしていたことを指摘できる。第2章「近世の神宮奏事始」:江戸幕府が成立すると、神宮伝奏および神宮行政の在り方も大きく変化した。天和4(1684)年から貞享5(1688)年にかけて一条兼輝が行った関白参勤の再興、神宮伝奏への儀式所作の指示、摂政による奏事目録の内覧によって、神宮奏事始の性格は神宮伝奏が主体となって行う儀式から摂政、関白の指示により神宮伝奏が行う儀式へと変化した。第3章「近世神宮神主への叙位」:天保15(1844)年の内宮四禰宜による従三位申請について注目すべきことは、祭主がその叙位を先例に基づいて強く主張し、関白も賀茂社禰宜に同様の先例があることにより、容易に認めたことである。このことは寛文10(1670)年の内宮一禰宜に対する正三位叙位、延享4(1747)年の大宮司に対する従三位叙位の過程と比較して祭主の発言力が強化したことを指摘できる。第4章「近世朝廷と神宮式年遷宮」:江戸時代の朝廷における神宮式年遷宮の準備過程について次のことに注目すべきである。寛文9(1669)年度の場合、関白が遷宮祭祀日時定の執行日決定に際して武家伝奏の内諾を求め、さらに、武家伝奏は幕府の意向として執行日の変更を要請し、それが変更された。これに対して、文化7(1810)年の準備過程において、光格天皇の意向により、初めて同祭祀の執行日が祭主藤波の内諾を得て決定され、仁孝天皇下の文政12(1829)年度の場合も遷宮祭祀の執行日決定に際して祭主は祭祀内勘文日時に関する自らの内諾を得ることを朝廷に要請し、天皇もその内諾を求め、関白が祭主の要請によって正遷宮祭の執行日を変更したことである。第5章「近世の神宮例幣使発遣」:江戸時代における神宮例幣使発遣の準備過程における神宮上卿の活動について注目すべきことは、安永8(1779)年に神宮上卿正親町公明の意見具申によって、神宮例幣使発遣儀式の準備過程が、旧例に復され、幣帛奉納に際して両宮で行われる直会饗膳における勧盃順序が是正されたことである。","subitem_description_type":"Abstract"}]},"item_10006_description_32":{"attribute_name":"フォーマット","attribute_value_mlt":[{"subitem_description":"application/pdf","subitem_description_type":"Other"}]},"item_10006_dissertation_number_45":{"attribute_name":"学位授与番号","attribute_value_mlt":[{"subitem_dissertationnumber":"32606乙第160号"}]},"item_10006_version_type_33":{"attribute_name":"著者版フラグ","attribute_value_mlt":[{"subitem_version_resource":"http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85","subitem_version_type":"VoR"}]},"item_access_right":{"attribute_name":"アクセス権","attribute_value_mlt":[{"subitem_access_right":"open 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