{"created":"2023-05-15T14:23:12.933211+00:00","id":3864,"links":{},"metadata":{"_buckets":{"deposit":"d85341de-779f-41a3-939b-8a7e61e36e97"},"_deposit":{"created_by":15,"id":"3864","owners":[15],"pid":{"revision_id":0,"type":"depid","value":"3864"},"status":"published"},"_oai":{"id":"oai:glim-re.repo.nii.ac.jp:00003864","sets":["1253:135:144:1274"]},"author_link":["46842","46843"],"item_10006_date_granted_44":{"attribute_name":"学位授与年月日","attribute_value_mlt":[{"subitem_dategranted":"2015-03-07"}]},"item_10006_degree_grantor_42":{"attribute_name":"学位授与機関","attribute_value_mlt":[{"subitem_degreegrantor":[{"subitem_degreegrantor_language":"ja","subitem_degreegrantor_name":"学習院大学"}],"subitem_degreegrantor_identifier":[{"subitem_degreegrantor_identifier_name":"32606","subitem_degreegrantor_identifier_scheme":"kakenhi"}]}]},"item_10006_degree_grantor_49":{"attribute_name":"学位授与機関(英)","attribute_value_mlt":[{"subitem_degreegrantor":[{"subitem_degreegrantor_language":"en","subitem_degreegrantor_name":"Gakushuin 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章の1 節では、傷つく身体を巡るマンガ論の展開を追う。今日のマンガ論では、マンガやアニメのキャラクターは、極度にコード化された図像であり、記号的な性質が強いものとして理解されている。現実の人間は傷つき、苦しむものであるという認識は、そのような記号的な身体を持つキャラクターに対しても、傷つき、苦しむことを要請する。身体の問題は、リアリズムの問題、および、現実と虚構の接点がどのように構築されるべきか、という問題に発展する。2 節では、これらのマンガ論の前提となる、キャラクターの身体を構成する記号的な要素について考察する。これは、マンガやアニメを愛好する者たちの間では自明のものでありながら、口に出して説明されることがないものを明文化する試みである。また、この試みによって、80 年代後半頃から生じたキャラクターを構成するコードのあり方の変化が何であったかを明らかにする。その変化は、キャラクターとその受容者の関係を大きく変えていく。3 節では、「プリキュア」シリーズをとりあげ、キャラクターとその受容者の関係の変化が作品内容をどのように変えていくかを考察する。そこでは、キャラクターとその受容者の間に双方向的な関係が発生することが期待され、作品内における登場人物間の友情と、作品の愛好者が登場人物たちに対して抱く支持の感情の同一化がはかられる。作品の目的は、物語を語ることから、キャラクターとその受容者の間に互いを肯定する関係を作り出し、キャラクターを中心とした共同体意識を生成することへと移行する。それは、キャラクターを中心とした「絆」の現実における生成過程ととらえることも可能であろう。第2 章は、作品の物語内容を分析する。傷つく身体の表現は、マンガ、アニメを巡る言説の中では「リアリズム的な表現」であると考えられている。主人公が強大な悪に対して逆転勝利するという「戦い」を題材としたマンガ、アニメの物語内容は、「リアリズム的な表現」と必ずしも相性が良いものではない。マンガ、アニメに傷つく身体の表現を求めるリアリズム的要請は、その起点を第二次世界大戦における敗戦に設定することができるであろう。1 節、2 節では、リアリズム的要請に応えることと、主人公の勝利の両立が、戦後マンガ、アニメ史においてどのように実現されていったかを考察する。その両立は、傷つく身体を超克する奇跡が、「絆」を根拠に発生し、「絆」は、その正しさを奇跡の発生によって証明するという、循環論法的なメカニズムの確立によって実現されることになる。「絆」とそれが持つ循環論法的なメカニズムに耽溺を望む心情と、そのようなメカニズムに対する批判的な視線の共存が、「戦い」を描く日本のマンガ、アニメを根底で支えている。3節では、その具体例として『GUNSLINGERGIRL』をとりあげ分析する。第3章、第4章、第5章は、日本の「戦い」を題材としたマンガ、アニメから、身体の在り方を基準に三つのジャンルをとりあげ、それぞれ具体的に作品を分析していく。本論は、身体と科学技術の関係という関係から、「格闘マンガ」「サイボーグマンガ」「ロボットアニメ」の三つを、日本の戦うマンガ、アニメを代表する三つのジャンルとして抽出する。「格闘マンガ」とは、ここでは、スポーツの一種としての格闘技ではなく、格闘という形式に基づき登場人物達が戦うマンガ、アニメを指す。格闘は、科学の関与しない、人間が生まれ持った自然の肉体を持って戦うことを前提としている。それ故に、戦うことの正当性は人間の本性に基づいた自明のことであるとされ、戦うことの歓喜が耽美的に描かれてきた。それに対して、「サイボーグマンガ」におけるサイボーグとは、科学の力によって肉体を戦うための機械に改造された人々を指す。彼らは、超人的な力を持つものの、肉体を他者に奪われたという意識が劣等感を生み、その戦いは常に自己否定の契機をはらんでいる。一方、「ロボットアニメ」は、中に人間を乗せたロボットが活躍するという内容のアニメである。「格闘マンガ」の登場人物が自然の肉体に、「サイボーグマンガ」の登場人物が機械の肉体に縛られるのに対し、機械のロボットから自然の肉体を持ったパイロットが自由に乗り降りできる、つまり、機械と肉体を任意に選択することができるという特異性を持つジャンルである。第3章では「格闘マンガ」を、第4 章は「サイボーグマンガ」を、そして、第5 章は、「ロボットアニメ」について論じる。この三ジャンルは、それぞれ、「戦い」を題材にしたマンガ、アニメの世界において三つの極を作っているものといえる。三者の比較することで、三つのジャンルがそれぞれどのような物語を生成してきたのか、そして、その中で「戦い」とそれに伴う「犠牲」の関係が、時代の変化の中でどのように変わってきたのかを見ていく。そして、「戦い」を題材とした日本のマンガ・アニメにおいて、共同体の紐帯となり、個人に、この世界における位置づけを与える「絆」がどのような形で特権化されてきたのかを明らかにする。その「絆」は、単に物語内のものに留まらず、その作品を受容する人々をも含むものとなっている。現在では、コンテンツとコミュニティの親和性は製作者、消費者の双方に認識され、意識的に作品に反映される。主人公が傷つき倒れても、再び立ち上がって戦い、そして勝利する姿を描くマンガ・アニメ作品は、互いの共同性が信じる集団の結束を確認して強化するための死と再生の儀式となっているのである。","subitem_description_type":"Abstract"}]},"item_10006_description_32":{"attribute_name":"フォーマット","attribute_value_mlt":[{"subitem_description":"application/pdf","subitem_description_type":"Other"}]},"item_10006_dissertation_number_45":{"attribute_name":"学位授与番号","attribute_value_mlt":[{"subitem_dissertationnumber":"32606甲第241号"}]},"item_10006_version_type_33":{"attribute_name":"著者版フラグ","attribute_value_mlt":[{"subitem_version_resource":"http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85","subitem_version_type":"VoR"}]},"item_access_right":{"attribute_name":"アクセス権","attribute_value_mlt":[{"subitem_access_right":"open 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