@phdthesis{oai:glim-re.repo.nii.ac.jp:00003857, author = {木村, 裕一 and Kimura, Yuichi}, month = {2014-05-30, 2021-12-09, 2021-12-09}, note = {本論文では、19世紀末から20世紀初頭にかけての、いわゆる世紀転換期の言説を分析の対象とする。言語と言及対象のあいだの関係性が構築されるプロセスに関する問題への新たなパースペクティヴを拓くひとつの転回点として、世紀転換期に観察される言語観は重要な意義を持っている。すでに文学研究の分野では、世紀転換期の言説は「言語批判」や「言語懐疑」、あるいは「言語危機」という概念区分とともにしばしば論じられてきた。しかし、このような「危機」の表明や「言語批判」そのものが、結局は言語を通じて行われざるを得ないという矛盾をつねに孕まざるを得ないがゆえに、「言語危機」をそのような時代区分や特徴として位置づけることに対しては、賛否両論さまざまに議論されてきた。そしてこのような遂行矛盾をどのように捉え、説明するかという点で、「言語危機」に関する先行研究は二極化している。一方は、「絶対的な」言語危機として捉える方向性である。これは「言語危機」が最終的に、言語機能が抱える欠陥に対する諦念、すなわち沈黙や言語以外の媒体への移行につながるという捉え方である。他方は、「言語危機」の表現そのものが、言語の表現可能性の拡張につながるという捉え方である。 ところがどちらの立場も結局は、二項対立的な基準を用いている限りにおいて、結果として矛盾に陥らざるを得ない。「言語危機」を表現することが「言語/非言語」という対立の境界線上で繰り広げられるものであるとするならば、そのような対立関係を超えた分析が必要であるように思われる。本論で注目したいのは、「言語/非言語」という対立関係が、危機の表現によって行為遂行的に作り出される過程である。この過程において、表現はどのようにして行われるのか。そしてそれはどのような空間で行われるのか。そしてそれは誰によって行われ るのか。あるいはそれを行うためにどのような者が「主体」として必要となるのか。 以上のような問題提起を踏まえ、本論文ではフリッツ・マウトナー(Fritz Mauthner, 1849-1923)、フーゴ・フォン・ホーフマンスタール(Hugo von Hofmannsthal, 1874-1929)、フランツ・カフカ(Franz Kafka, 1883-1924)によって書かれたテクスト群を中心的な分析対象とし、世紀転換期における「言語危機」がどのように語られ、「演出」され、「上演」されていたのか考察する。 第1章では、本論で試みる分析における理論的前提として、J. L. オースティン(John Langshaw Austin, 1911-1960)が提唱した言語行為論を文化学的な分析手段として応用した、パフォーマンス理論について概観する。とりわけ本論における鍵概念となる「舞台」の「演出」、演出された「舞台」的空間性が持つ特性、および例外という概念と言語危機との関わりについて詳しく論じる。オースティンによって導入された「行為遂行的(performativ)」発言という概念は、表現行為がどのような規範や慣習をコンテクストとして要求し、特定の文化的・社会的集団の前で遂行されるのかを分析する可能性を示した。その後この理論を出発点として、文化学や演劇学において、文化的事象を舞台空間上で繰り広げられ、演出された「パフォーマンス」として捉えるためのモデルが提示された。それによって表現行為を遂行する際に、その表現主体を遡及的に措定するための形象が仮構されるプロセスへの視点が拓かれた。このようなプロセスにおいて要求される空間と形象は、「言語危機」という言説では境界的空間と例外的形象として生じている。というのも「言語危機」における言語行為とは、言語体系という法規則における例外にほかならず、その外部でありかつ内部であり、さらにそのどちらにも未だ属さないような、閾としての空間性を拓くものだからである。 第2章では、1901年に第1巻が刊行された、全3巻にわたる『言語批判論考(Beiträge zu einer Kritik der Sprache)』(1901-1902)を中心に、マウトナーや彼を取り巻いていたさまざまな言説における言語観を分析する。さらに当時の新聞や雑誌における、『言語批判論考』に対する書評の数々を整理し、マウトナーを中心としてどのような「言語批判」的言説が展開されていたのか検証する。マウトナーは言語と非言語の間に不分明な地帯を作り出すことで、言葉と現実の間の関係性を問い直そうと試みている。そのような不分明な地帯は、境界的な空間性としてテクストの中に表れている。そして境界的空間に立つことのできるものとして、マウトナーは「詩人」という形象を作り出す。詩人のみが操ることのできる詩的言語は、コミュニケーション不可能な日常的言語を越えた次元に位置づけられ、個人に偶然生じた感覚を十全な形で再現し、伝達することができる。この意味で、詩的言語およびそれを操る詩人は、言語批判における例外的形象であり、マウトナーはそのような例外を実現不可能なものとして悲観的に捉えている。しかし「言語批判者」としてのマウトナーという自己イメージは、『論考』を巡る言説の中で、彼自身が否定する「詩人」という形象と重ね合わされていく。この時前提となっているのは、言語によって言語を批判するという自家撞着に陥らざるをえない行為は、唯一そのような例外的役割を担う事のできる「詩人」という特別な形象によってのみ、遂行可能だということである。 第3章では、「言語危機」のカノンのなかでも最も代表的なテクストとされている『手紙(Ein Brief)』(1901)を中心的な対象とし、ホーフマンスタールがどのようにして「言語危機」を表 現し、演出していたのかを分析する。また、『国民国家の精神的空間としての著作(Das Schrifttum als geistiger Raum der Nation)』(1927)のほか、文学的・芸術的表現が拓きうる空間性に関するテクスト群を分析の中心に据え、ホーフマンスタールの言語観と政治的表象あるいは表象の政治とのあいだの関係性について考察する。ホーフマンスタールは『手紙』に代表される数々の文学的・芸術的プロジェクトを通じ、マウトナーが悲観的に放棄しようとしていた詩的言語の可能性を、自ら追求し実現しようと試みていた。ホーフマンスタールにおける「言語批判」もまた、言葉によって表現できないものを語るための、特別かつ例外的な形象を描き出す。そのような形象は、危機的状況に陥った者として演出されている。これらの危機的状況はひとつの場面として表れ、新たな言語を追求していくための舞台的空間性を切り拓く。作家および演出家として、ホーフマンスタールはこのような舞台空間を枠付け、その上でこれらの形象群に危機的状況を演じさせるのである。しかしこの時興味深いのは、ホーフマンスタール自身もまたこのような形象のひとつとして、自らを自らのテクストによって表していることである。この過程で彼は自らを、言語危機を克服することのできる例外的な形象として描き、位置づけることになる。 第4章では、『ある戦いの記録(Beschreibung eines Kampfes)』(1907)、『万里の長城の建設に際して(Beim Bau der chinesischen Mauer)』(1917)、および『歌姫ヨゼフィーネ、あるいはネズミの一族(Josefine, die Sängerin oder Das Volk der Mäuse)』(1924)を分析し、カフカがどの程度同時代の言説を受容し、その影響を被っていたのか、そしてそれをどのような形で語り、演出していたのかについて考察する。例外的形象が発する言語ならぬ言語を描くという点で、カフカはマウトナーやホーフマンスタールなどによって形作られていた、同時代の言語批判的言説空間に対し、異なる立場から関わっていた。カフカはこれらの言説と接点を持っていた可能性は高い。しかし、そのような言説において創出されていた空間性や運動性を直接的にテクストの中で繰り返し、それらを通じて目指しうる具体的な目標や目的へと向かおうとするわけではない。むしろそのような空間性や運動性を忠実に、しかし戯画的に描き出すことで、それが孕まざるをえない矛盾や不可能性を炙りだしてしまうのである。その際観察される演出の数々、例えば「中国」という流動的国家空間や、詩的・芸術的表現の主体に対する批判的記述、分析およびその消去などは、「言語危機」という舞台空間を作り出すための演出、およびそれに伴う境界的空間性の形成や例外的形象を、非常に緻密に、しかしながらいわば反転した形で映し出したものだと考えられる。日常的な言語からは区別されるべき芸術的言語を操る例外的形象は、最早テクストを枠付ける特権的な視線を持つ者としてではなく、語り手によって観察され、分析され、疑問に付される形象としてテクスト内に表されている。このような語りの構造は、ほとんどベルリンで思想家・ジャーナリストとして活動していたマウトナーや、芸術的中心地としてのウィーンで活動していたホーフマンスタールに対し、プラハにおける役人の副業のような形で文学活動を続けていたカフカというコントラストをそのまま表しているようにも読み取ることができる。ドイツ性にも、理念としてのオーストリアにも、そしてシオニズムにも完全に属することなく、同時代の諸言説に接しながらも、それらを特定の国民国家的表象や国家的空間性へと具体化することを拒むこのような視線は、それらの言説が持っていた構造を写し取ることで、テクストを形作っていたのである。 以上の考察から、「言語危機」の表現が発話によって形成される空間を前提としていること、そしてそのような空間を自ら創り出すと同時に、発話を遂行するべき形象もまた仮構し、その空間へと導き入れていることが明らかとなる。言語と現実のあいだの関係を問いなおすという「言語危機」の言説における最大の試みは、結局自らが言うこと、そして自らが言うという行為そのものすらも問題化しなければならなかった。しかもその際避けられなかったのは、書いている「主体」そのものを疑問に付すことであり、書くという行為そのものを問題視することである。先行研究でも繰り返し指摘されてきたように、「言語危機」は「主体」および「同一性」に対する危機意識を含み込んでいた。この背景となっていたのは、日常的な言葉から、いかにして自らの言葉を区別するかという問題である。それは芸術的な言語としての「文学」を区別することであり、その生産者としての「詩人」あるいは「作者」を、いかにして他の雑多な諸個人たちから区別するかという問題だった。言語はもはや現実を十全に伝えることはないという問題意識を持ちながら、唯一例外的にそのことを伝える事のできる「主体」として責任を負い、そしてその「主体」が言っていることだけは伝えられなければならない(あるいは伝えられるべきだ)という規範的な意識を同時に持たなければならなかったこと、それが「言語危機」における「作者」が抱えていた最大の問題であり、矛盾だったのである。「言語危機」という言説において作り出された境界的空間に生じていたのは、消滅を余儀なくされながらも自らの「主体」としての存在を顕在化させなければならないという矛盾に対抗するために必要な、特別かつ例外的な行為体であった。「言語危機」という言説において生じているのは、このような「主体」の役割を引き受けようとする動きと、それとは反対に、たとえそれが周縁的なものであれ、そのような役割を放棄し、それ自体を描写する動きであった。このような言説内における差異は、書く「主体」としての「作者」がテクストを通じていかなる機能を果たしうるのかということを考察する上で重要なものである。不在と消滅を運命づけられた近代以降の「作者」が、自らをどのように表しうるのか、あるいは我々が彼らをどのように見出そうとしているのかという問題は、現代においてもいまだ重要な問題として残されている。そのような問題を考える上で、世紀転換期における「言語危機」言説は、言語論的なパラダイムシフトとしてのみならず、「作者」の戦略的配置が構造的に変化していく上での大きな転換点の一つを記し付けている。, application/pdf}, school = {学習院大学, Gakushuin University}, title = {世紀転換期における言語危機の演出 : フリッツ・マウトナー、フーゴ・フォン・ホーフマンスタール、フランツ・カフカにおける境界的空間と例外的形象}, year = {} }