@article{oai:glim-re.repo.nii.ac.jp:00003332, author = {山内, 正太郎 and YAMAUCHI, Shotaro}, issue = {22}, journal = {学習院大学人文科学論集, Gakushuin University studies in humanities}, month = {Oct}, note = {application/pdf, 20世紀にキリストの復活についての戯曲を書くことは、アイルランドの詩人・劇作家イェイツにとってどのような意味があったのだろうか?イェイツは世界の歴史が「主観性(subjective)」の時代と「客観性(objective)」の時代の二つによって成り立つという独自の歴史観を持っていた。古代ギリシア時代やローマ時代を含む「主観性」の時代においては人間性、個人主義が重んじられるのに反し、キリスト教誕生以降の時代を含む「客観性」の時代では非人間性、ないしは神への従属といった全体性が重んじられるとイェイツは考えた。1921年の詩集『マイケル・ロバーツと踊り子』に収録されている詩『再臨』において、イェイツは「客観性」の時代が再びやってきて、キリストを駆逐するような「ベツヘレムへと歩いてゆく野獣」の姿をした「野蛮な神」の降臨を予言している。これは第一次世界大戦によって、世界が暴力や荒廃に満ちた非人間的な時代へと向かっているのではないか、という彼自身の不安を表明した詩である。さて『復活』という戯曲についていえば、これは古代エルサレムを舞台としてキリストが磔刑から蘇えり信者の元に再び現れる瞬間を劇化したものであるが、劇の最後で登場人物の一人であるギリシア人が言及しているように「人間が死に始め」、神や宗教が人間性を凌駕して「生き始めた」瞬間の劇化でもある。世界大戦やイェイツの母国であるアイルランドでの内戦が表しているように、人間性が失われつつあった風潮の中で新たな神が復活し「客観性」の時代が再び始まるというメッセージを、イェイツはキリストの復活の物語に託したのではあるまいか。イェイツはこの劇においてキリストをキリスト教徒が描くような唯一神、または「絶対的存在」として描いておらず、むしろディオニュソスをはじめとした「異教」の神々(キリスト教徒にとっての)の同類として描いている。先行研究が示しているように、キリスト教の「野蛮性」、ないしはキリスト教と「異教」との親密性がこの劇の至るところでイェイツによって表象されているのは大変示唆的である。その野蛮性、「異教」性は、『再臨』の中の「野蛮な神」が体現するような反文明的で非人間的な「客観性」の時代の到来を暗示している。だが、その神が死んだとしても新たな「主観性」の時代が始まり、その後には再び「客観性」の時代が巡り来て、時代の循環は永遠に繰り返される――『復活』は絶え間なく持続する歴史の変貌についての戯曲である。}, pages = {55--70}, title = {“The Circle Begin Again” : William Butler Yeats’s The Resurrection}, year = {2013}, yomi = {ヤマウチ, ショウタロウ} }