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本論文では「旧派」に替わる「伝統画派」の使用を提起する。明治期の伝統画派に共通してみられる特徴として、表現様式の継承、流派への帰属意識、公的な絵画事業への政府による積極的な登用が挙げられる。本論文が目的とするのは、伝統画派の考察によって従来の「旧派」観を刷新し、「新派」中心に築かれた日本近代美術史のなかで伏流となった彼らの業績に光をあて、再評価することにある。伝統画派の画業を顧みることで、「創造と革新」に評価の重心が置かれ、新旧の二項対立の図式で語られてきた美術史観を再考する。そのうえで、伝統の継承こそが求められた「場」の問題、同時代の文化的背景、各画家が築いた人的ネットワークにも視野を広げ、明治期の日本画壇の多重構造を解明することを試みる。\r\n なお、伝統画派の「継承と展開」は、絵画様式の継承と展開であると同時に、流派それ自体の継承と展開を二重に意味する。「家」を中心とする組織としての流派が解体された後も、明治期の伝統画派は師承関係などさまざまな形で濃厚に人的連続性が保たれており、その象徴的行為として流祖の顕彰や流派儀式の継承が行われていた。本論文ではこのような画家たちの心性史も考察の対象とする。\r\n 第一部では、維新後の江戸狩野派がどのように流派の存続を図り、継承を模索したのかを考察した。第一部第一章では、奥絵師四家のうち、明治維新に際して唯一幕臣に留まった鍛冶橋狩野家について、十代目当主・狩野探美守貴の動向を中心に論じた。形式的な節義の表明とされてきた幕臣残留について、公文書などから事実関係を検証し、実際には探美が早い段階で新政府への帰順(朝臣化)を申請していたこと、幕臣残留は家督相続をめぐる混乱に起因した可能性を指摘した。また、皇居御造営など、探美が明治政府の公的な絵画事業に登用された背景に、御用絵師としての前歴に対する評価があったことを述べた。さらに、探幽の顕彰や鑑定といった活動、ポスト探美世代の画家たちによる江戸狩野派再興の動きにも着目し、鍛冶橋狩野家が伝統画派の中心となっていく過程を考察した。\r\n 第一部附論では、河鍋暁斎『日蓮大菩薩聖迹図伝』(明治18年)を考察の対象とした。日蓮の一代記を描いた同書の挿絵が、先行する小川泰堂著・長谷川雪堤画『日蓮大士真実伝』(慶応3年初版、明治17年再販)を参照していることを図像同士の比較によって検証した。また、江戸狩野派と暁斎が日蓮信仰を共有している点、近代における日蓮宗出版史も踏まえながら、『日蓮大菩薩聖迹図伝』挿絵の成立過程を明らかにした。\r\n 第二部では、従来、狩野芳崖とともに日本画革新運動を牽引した画家とみなされてきた橋本雅邦について、江戸狩野派との関わりからその画業を再考した。雅邦は「新派」系の鑑画会に参加したことに加え、教え子の横山大観、菱田春草らが「新派」の代表格とされたことで、雅邦もまたその源流に位置づけられてきた。いっぽうで、雅邦の初期画業にみられる江戸狩野派の粉本主義の影響、さらに晩年の木挽町狩野家儀式の継承の意図については、十分に検証されてきたとは言いがたい。第二部では、近代日本画の父としての雅邦像とは一線を画し、江戸狩野派の継承者、伝統画派としての視点から新たな雅邦像の提示を試みた。\r\n 第二部第一章では、明治10~20年代半ば頃の作品と比定される《四季花鳥図》(島根県立美術館蔵)、《春秋山水中士農図》(個人蔵)を手がかりに、雅邦による江戸狩野派の図様学習の実践と作画への応用を検証した。《四季花鳥図》には探幽粉本の影響がみられ、《春秋山水中士農図》には幕末における江戸狩野派の山水画様式との共通性が認められる。この2作品を通じて、雅邦における江戸狩野派様式の継承を明らかにした。\r\n 第二部第二章では、《四聖像》(東洋大学井上円了研究センター蔵)を中心に、雅邦と哲学者・教育者である井上円了との交流、円了思想の絵画化の問題を論じた。本作は釈迦、孔子、ソクラテス、カントといった東西の宗教家、思想家、哲学者が描かれた集団肖像画である。本作は円了の哲学・教育観の中心にあった「四聖」のイメージに基づいて制作され、円了が主宰した哲学祭の尊像であった。本章では、描かれた聖賢たちの図像について、江戸狩野派の粉本の影響と円了から提供されたイメージ・ソースの存在を明らかにした。また、本作に先行する渡辺文三郎《四聖像》との相違点を踏まえて、雅邦に作画が依頼された理由を考察した。最後に明治期の聖賢表象の問題と絡めて、本作が占める位置を論じた。\r\n 第二部第三章では、雅邦晩期の水墨山水画について《四季山水》(徳富蘇峰記念館蔵)を考察の対象とした。本作は徳富蘇峰の旧蔵品であり、雅邦晩期の水墨山水画の特徴をよく示す。本作が描かれた明治30年代は、大観、春草らの駆使する没線主彩の描法・朦朧体が画壇で論争を引き起こしていた時期であり、雅邦が牧谿や玉澗などの筆法に倣い、朦朧体に対する自身の理解と応用を晩期の水墨山水画で示した可能性を指摘した。\r\n 第二部第四章では、最晩年の雅邦と研究団体・二葉会の関係について論じた。雅邦が同会で後進を育成し、次世代の画家たちに木挽町狩野家の儀式、行事を継承するなど、江戸狩野派としての自覚を深めていく過程を検証した。\r\n 第三部では、皇室、宮内省からの委嘱制作に登用された伝統画派を論じた。戦前の日本において、皇室、宮内省のために彩管を揮った画家たちは、展覧会とは距離を置きつつ、長期間にわたって託された仕事に専従することも多く、完成した作品も一般に公開される機会をもたなかった。第三部では、遺された作品や資料からこれら伝統画派の活動の実態を明らかにした。\r\n 第三部第一章では、南画家・山本琹谷が描き、明治天皇に献上された《艱民図》(皇居三の丸尚蔵館蔵)の成立と伝来を検討した。《艱民図》は琹谷による画巻と、小野湖山の詠詩による題画詩巻からなる。画巻は明治3年(1870)に旧津和野藩主・亀井茲監から明治天皇へ献上され、詩巻は明治16年(1883)に旧津和野藩士の国学者・福羽美静から献上された。本章では、琹谷と福羽を取り巻く人的ネットワークの作用、『御製耕織図』や中国清代絵画からの図像的影響を指摘し、勧戒画としての一貫した構想と機能を明らかにした。\r\n 第三部第二章では、田中有美による新出の《三條内府公事蹟画巻御下絵》(皇居三の丸尚蔵館蔵)を紹介するとともに、本画である《三條実美公事蹟絵巻》(皇居三の丸尚蔵館蔵)の制作過程を考察した。有美は幕末明治期を通じて朝廷、宮内省の庇護下で重要な作品制作に携わったが、その制作環境などの実態は判然としない。本章では、新出下絵と関連文書の分析を通じて、宮内省側から有美への具体的な指示を確認しつつ、《三條実美公事蹟絵巻》の成立過程や制作環境を明らかにした。\r\n第三部第三章では、やまと絵画家・高取稚成の画業を皇室との関係から考察した。稚成は皇居御造営の絵画事業に参加したほか、大正期から昭和初期にかけては、明治神宮外苑聖徳記念絵画館の壁画、皇室関連の記録絵巻を制作した。本章では、住吉派継承者であった稚成の古様な画風を求めた受容者層の問題と絡めて、伝統的なやまと絵画家の軌跡をたどった。\r\n 第三部附論では、明治から昭和期にかけて活動した「旧派」系日本画家・池上秀畝の《國之華》(皇居三の丸尚蔵館蔵)について、桃山美術受容の観点から論じた。大正期の秀畝は実景写生に南画の筆致を加えた「山水花鳥画」で知られたが、桃山美術の装飾性への傾倒から金地大画面の装飾的な花鳥画へと転換していった。「旧派」の代表的な画家とされる秀畝の画風変遷に着目し、伝統画派の継承と展開に関わるケーススタディを提示することを試みた。\r\n以上、本論文では伝統画派の継承と展開の諸相を、画家の個人史、作品の生成、社会情況、思想・文化の影響、人的ネットワークの作用が複雑に交錯する様相を総合的に考察し、終章では本論文全体の分析を通じて得られた展望と課題について述べた。","subitem_description_type":"Abstract"}]},"item_10006_description_32":{"attribute_name":"フォーマット","attribute_value_mlt":[{"subitem_description":"application/pdf","subitem_description_type":"Other"}]},"item_10006_dissertation_number_45":{"attribute_name":"学位授与番号","attribute_value_mlt":[{"subitem_dissertationnumber":"32606甲第325号"}]},"item_10006_version_type_33":{"attribute_name":"著者版フラグ","attribute_value_mlt":[{"subitem_version_resource":"http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85","subitem_version_type":"VoR"}]},"item_access_right":{"attribute_name":"アクセス権","attribute_value_mlt":[{"subitem_access_right":"open 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