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  1. 学習院大学
  2. 学位論文
  3. 博士(史学)
  4. 2023年度

田中王堂の文明論とその時代

http://hdl.handle.net/10959/0002002667
http://hdl.handle.net/10959/0002002667
7de4de4a-d2bb-4bbf-a833-fdd93bf10222
名前 / ファイル ライセンス アクション
ref_abstract_K318.pdf ref_abstract_K318.pdf
abstract2_K318.pdf abstract2_K318.pdf (204 KB)
Item type 学位論文 / Thesis or Dissertation(1)
公開日 2023-10-27
タイトル
タイトル 田中王堂の文明論とその時代
言語 ja
タイトル
タイトル タナカ オウドウ ノ ブンメイロン ト ソノ ジダイ
言語 ja-Kana
言語
言語 jpn
資源タイプ
資源タイプ識別子 http://purl.org/coar/resource_type/c_db06
資源タイプ doctoral thesis
アクセス権
アクセス権 open access
アクセス権URI http://purl.org/coar/access_right/c_abf2
著者 山田, 大生

× 山田, 大生

ja 山田, 大生

ja-Kana ヤマダ, ヒロキ

en Yamada, Hiroki

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抄録
内容記述タイプ Abstract
内容記述 本稿は王堂・田中喜一(一八六七~一九三二)を時代の中に位置づけ、彼の文明論の検討を通して、日露戦後から大正期までの思想状況を考察する。
序章では本稿の課題と方法について論じる。本稿の課題は二つある。プラグマティズムの枠組みを取り払って田中の哲学思想の実態を解明すること。もう一つは田中の文明論からヨーロッパ近代認識の変遷を明らかにすることである。また、本稿を論じるにあたって田中の思想を「生活の哲学と文明史」と「理論構造の一考察」という観点から検討した。前者について、田中は生活の中での欲望の実現を幸福と捉え、適切な欲望選択を実現させるための指針を文明史の観点から説いた。後者の理論構造について、田中が自身の思想的特徴とする功利主義・進化論・ヘーゲル主義を手掛かりとし、各要素を統合する論理として有機体と目的論の結びつきについて検討した。
日露戦後の文学や道徳をめぐる思想状況をふまえて、田中の言説を考察したのが、第一章「文明史の体系化とルネサンス」と第二章「プラグマティズムから「ロオマンチツクな功利主義」へ」である。
第一章「文明史の体系化とルネサンス」では、日露戦後の自然主義文学運動やその反動として生じた儒教再興の議論に際して、田中が文明史を体系化させた経緯を扱った。田中が現在の起点をフランス革命後の一九世紀から、ルネサンス後に後退させたことを明らかにした。この背景には、後期自然主義文学とその反動として生じた儒教再興の議論に求められる。田中は過去の道徳や慣習をめぐって、同時期に生じた後期自然主義文学と儒教再興の議論を正反対の主張とした。大局的な観点からの時代批評を求める中で、自身の文明史観を体系化して提示するに至った。その中で、日本の外形と内面の状態が不一致であることを問題視した。つまり、日本の諸機関はルネサンス以降の帰納的な特徴を持つが、その運用主体が、ルネサンス以前の演繹的な特徴を持つという矛盾である。そこで、田中は現在をルネサンスから継続する時代であることを強調し、ルネサンス以降の時代的特徴の理解を求めた上で、現在のヨーロッパ社会が理想とすべき「象徴主義」までの道筋を説明した。
第二章では自然主義文学者との論争で指摘された理論的欠点を克服するために、田中が情的要素を理論的に重視する中でプラグマティズムとの差別化を図ったことについて論じた。田中が自覚的にプラグマティズムとは別の立場に移った経緯には、自然主義文学論争を通して、現実に相当する人間像が説得力に欠けたことがある。つまり、田中の理論は主観的な感情や意志を軽んじていると批判された。くわえて、田中が文明史上の理想とした「象徴主義」は、当時の文学者から情的要素と結びつくものと解釈された。そこで、田中は情的要素の評価を肯定的に捉え直した。情的要素に意義を見いだし、それがもたらす弊害を克服しようとした。田中は情的要素と「象徴」を「信仰」概念に置き換え、「信仰」によって慣習を改変できることを説いた。こうして、田中はプラグマティズムでは情的要素を説明するにあたって不十分とし、より直接的な言葉として「ロオマンス」と「実利」の調和を説くようになる。後に第一次世界大戦後の思想状況をふまえて、未定であった「ロオマンス」と「実利」の比重を決め、「ロオマンチツクな功利主義」を主張した。
 第一次世界大戦が同時代に与えた思想史的な影響を考察したのが、第三章「「国民性」論としての福沢諭吉」と第四章「第一次世界大戦中の文明論と科学」である。
第三章では田中がヨーロッパ文明の独自化・日本化を達成するために、「功利」的な「国民性」を福沢諭吉から見いだした経緯について論じた。この背景には大正改元後、明治時代を振り返る中で生じた言説を、田中が「国民性」を求める主張としたことに求められる。田中は「国民性」を基礎としたヨーロッパ文明受容によって、ヨーロッパ文明の適切な運用が可能であると考えた。第一次世界大戦後、外来思想の受容をめぐって「思想の独立」の議論が起こると、田中は岩野泡鳴と火曜会を開催した。ところが、田中は岩野が福沢諭吉をヨーロッパ文明の模倣者とみなすことに反発する。なぜなら、田中にとっての福沢は思想的特徴だけでなくヨーロッパ文明受容の実践からの「功利」的な要素を有する人物であった。この「功利」的な要素とは田中が、古代日本の東洋文明受容から見いだした「国民性」に重なるものであった。こうして、田中はヨーロッパ文明の独自化・日本化を達成するために、福沢を手本として示すことで、ヨーロッパ文明の独自化・日本化のヒントを示そうとした。
第四章では第一次世界大戦の勃発によって高まる文明の転換・転機を求める主張に対して、田中がヨーロッパ文明の大枠は擁護しつつも、そこから内在的な欠陥を見いだし、その克服を説く経緯について扱った。この背景には第一次世界大戦後に世間で高まったヨーロッパ文明批判の論調への対応に求められる。田中はヨーロッパ文明の適切な運用を求めるにあたって、「個人主義」や「実験主義」といったルネサンス以降に生じた特徴の理解を求めていた。この意味で、第一次世界大戦後にタゴールが議論される中でも、「智慧」に止まる東洋文明よりも「智慧」から「知識」に進んだヨーロッパ文明に優位さを見いだしていた。また、第一次世界大戦を文明の転機と捉える論調に際しても、第一次世界大戦を「中世文明」の「残火」と捉えたように、ヨーロッパ文明を支えるルネサンス以降の「志向」そのものには批判を加えなかった。ところが、第一次世界大戦が長期化する中で、田中は「知識」と「智慧」の関係を問い直し、ヨーロッパ文明を擁護するものの、かつてヨーロッパ文明の長所とした部分に修正を加えるようになる。「知識」を扱う科学に意義を認めていたが、「知識」の改良や改善を重ねるごとに、当初の「知識」が目的としていたものとの間に乖離が生じる。ここに田中はヨーロッパ文明の問題を見いだすに至った。
日露戦後から大正期にかけて、田中が継続して主張した概念から、何を意図したのかを明らかにしたのが第五章「個人と共同体の関係」と第六章「田中王堂の象徴概念と文明論」である。
第五章では田中が社会の中で個人に求めた役割を「哲人主義」から検討し、田中が個人の能力を最大限に発揮する社会の形成を求めたことを明らかにした。この背景には、共同体を有機体としてまとめるために、「哲人」を必要としたことに求められる。「哲人」とは、自己だけでなく、社会の中でも適切な欲望選択を行える人物であり、特定の個人に限定されるものではなかった。寺内正毅内閣が成立すると、専制政治的・代議政治的な哲人政治論が説かれた。この時、両者に対応する中で、個人の能力差を重視する田中の思想は先鋭化していった。その後、社会主義や協同主義が台頭し、個人の能力差を無視する平等が説かれた。その際に田中は平等を「機会均等」として捉え、個人の能力が適切に発揮されるデモクラシー論を展開した。こうして、田中が共同体における個人に期待したことは、自己の才能を適材適所に運用することであった点を明らかにした。
第六章では田中が関東大震災後の象徴主義論を通して、世間では非難のさなかにあったヨーロッパ文明に対して、文明本来の機能を取り戻すことを求めた経緯を明らかにした。この背景には、田中が海外思想の無批判な受容が続き、国内からも「国民哲学」と呼べるものを見いださなかったことにある。西田幾多郎が「獅子化」・「偶像視」されている現状をふまえて、田中は西田の哲学思想を批評した。その中で、田中は西田が新カント学派と同様の問題点に行き着いたことから海外思想の祖述に過ぎないとした。次に「象徴」概念の検討を行った。「象徴」概念は合理的・効率的な意味合いを含むことを示し、それが文明史上の時代区分において理想の社会状態とする「象徴主義」とどのように接続するのかを論じた。最後に関東大震災後に田中はルネサンス以降の「近世文明」の「象徴主義」化を求める経緯について論じた。田中が注目したのは過去の「国民性」を「象徴主義」的に解釈することであった。こうして、過去を参考とすることで、海外思想の運用が可能であることを示唆した。
 終章では本稿をふまえた議論として、田中のヨーロッパ文明観がどのように変容したのかを検討し、今後の課題にも言及した。
フォーマット
内容記述タイプ Other
内容記述 application/pdf
著者版フラグ
出版タイプ VoR
出版タイプResource http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85
学位名
言語 ja
学位名 博士(史学)
学位名(英)
言語 en
学位名 Doctor of Philosophy in History
学位授与機関
学位授与機関識別子Scheme kakenhi
学位授与機関識別子 32606
言語 ja
学位授与機関名 学習院大学
学位授与機関(英)
学位授与機関識別子Scheme kakenhi
学位授与機関識別子 32606
言語 en
学位授与機関名 Gakushuin University
学位授与年月日
学位授与年月日 2023-10-01
学位授与番号
学位授与番号 32606甲第318号
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Ver.2 2023-10-30 03:10:12.292020
Ver.1 2023-10-27 00:35:10.779317
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