WEKO3
アイテム
宮川長春研究
http://hdl.handle.net/10959/0002002666
http://hdl.handle.net/10959/000200266633c853a2-1f1a-489c-aace-ea8221ba91db
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
---|---|---|
![]() |
|
|
![]() |
|
Item type | 学位論文 / Thesis or Dissertation(1) | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
公開日 | 2023-10-27 | |||||||||||
タイトル | ||||||||||||
タイトル | 宮川長春研究 | |||||||||||
言語 | ja | |||||||||||
タイトル | ||||||||||||
タイトル | ミヤガワ チョウシュン ケンキュウ | |||||||||||
言語 | ja-Kana | |||||||||||
言語 | ||||||||||||
言語 | jpn | |||||||||||
資源タイプ | ||||||||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_db06 | |||||||||||
資源タイプ | doctoral thesis | |||||||||||
アクセス権 | ||||||||||||
アクセス権 | open access | |||||||||||
アクセス権URI | http://purl.org/coar/access_right/c_abf2 | |||||||||||
著者 |
稲墻, 朋子
× 稲墻, 朋子
|
|||||||||||
抄録 | ||||||||||||
内容記述タイプ | Abstract | |||||||||||
内容記述 | 本博士論文は、これまで本格的な研究がほとんど行われてこなかった宮川長春(1682〜1752)についての考察を行うものである。長春は、18世紀前半、錦絵が創始される以前に活躍し、版画を制作せず、肉筆画のみを手がけた浮世絵師である。浮世絵の祖・菱川師宣(?〜1694)や、同時代のライバル絵師・懐月堂安度(生没年不詳)の影響を受けながら、気品ある女性像を確立して人気を得た。画面を占める高い品格や使用する顔料の良質さ、細部にまで神経が行き渡った丁寧な彩色などから、一般庶民とは異なる階層の享受者が想定され、大名をはじめ高層の顧客を複数抱えていたと考えられている。長春率いる宮川派は18世紀前半の浮世絵界を代表する流派の一つに数えられ、一笑(1689〜1779)、長亀(生没年不詳)、春水(生没年不詳)といった弟子たちも肉筆画を専らとしたことで知られている。 現在までも高い評価を得てきた長春であるが、多くの作品が国外に流出している点や、肉筆画特有の真贋の難しさ、年記の入った現存作品が皆無である点などから、代表的な作品紹介にとどまってきた観があり、体系的な研究が遅れている。本研究の目的は、長春の基礎研究を構築することに主眼を置くものである。 第一章「伝記と研究史の概略」では、長春の伝記と研究史を確認し、同時代および後世において、長春がどのように語られてきたかを確認する。長春と同時代はおろか、江戸時代に遡る文献に長春の名が登場することはきわめて少なく、大半は近代以降の文献に断片的な情報が掲載されるにすぎない。何が語られ、何が未着手であるかを明らかにする。 第二章「宮川長春の画業」では、落款と絵画様式の変遷を追い、制作時期の目安をつけ、各時期の基準作を指摘する。長春には大きく分けて五種の使用印が確認されている。すなわち、初期には①「宮川」(朱文重郭八角印)と②印文不詳(朱文鼎印)、その次の過渡期的ともいうべき段階が③「宮川氏」(朱文方印)と④「長春」(朱文瓢形印)、そして自己の様式を確立して以降、もっとも高い頻度で用いられた⑤「長春之印」(白文方印)である。考察の結果、③および④の途中から画巻や屏風の制作が始まり、長春の人気が高まってきたことが読み取れること、⑤には署名から3つの段階に分けられることが分かった。さらに、絵画様式の変遷と重ね合わせると4期に分類でき、学習期、発展期、最盛期、安定期という流れが確認できる。第4期にあたる安定期には、弟子の代作と思しき作品が増えることから、多くは弟子たちに委ね、特別な注文のみ筆をとったとも考えられる。以上の考察により、長春が元禄年間(1688〜1704)末期から活動を始め、享保年間(1716〜36)末期には作画への関与が薄れていた可能性を指摘する。 第三章「師宣と長春」では、長春より一世代前に活躍した菱川師宣からの影響について、画巻を中心とする風俗画作品を研究対象とし、具体的に考察する。さらに、師宣没後の菱川派の絵師たちや、長春と同時代の浮世絵師・奥村政信(1686〜1764)との比較を行う。師宣亡き後、菱川派が急速に衰退していくのに対し、長春はきわめて師宣様式に忠実な風俗画を積極的に制作した。画題や図様を師宣に借りた画巻は、現存するものだけでも20種を越え、中には特別な配慮が見える豪華本や、工房作と推定される作品が混ざり、人気のほどがうかがえる。一方、師宣と同様、版画・版本、肉筆画のいずれの分野にもすぐれ、人気を得た奥村政信の場合、師宣様式を基本としながらも、必ず自らの工夫を加え、自己流にアレンジする姿勢がみとめられる。長春と政信における師宣受容の在り方や、両者の立ち位置の違いが浮き彫りとなった。 第四章「長春作品の享受者をめぐって」では、伝来の分かるいくつかの作例を挙げ、長春の作品が富裕層に愛好されたことを例証する。長春が師宣様式を規範とし、自己の作画に生かしたことは前章で確認した通りだが、長春が独自に発展させた画題も存在する。例えば、門付けの芸人や宗教者を題材とする「芸人図」や、役者の一行が貴人の家に出向き、舞踊を披露する「座敷芸図」が挙げられる。これらの作品には、注文主と思しき貴顕の存在が描き込まれることが多く、制作背景を考える上で示唆に富む。また、近年発見された「歳旦遊女に禿図」(個人蔵)は、島津家旧蔵であることが判明した貴重な例であるが、同じく島津家との関連性がうかがえる作品として、琉球使節が江戸の薩摩藩邸で御座楽を披露する場面を描いたと考えられる「琉球座楽図」(所在不明)を考察する。長春と島津家に加え、琉球と薩摩、京都、さらに江戸という都市で繰り広げられた、活発な文化交流にも目を向け、そのような中に長春が身を置いていた可能性について指摘する。 第五章「宮川派の総合的研究に向けて」では、長春の弟子たちも含めた総合的な研究の端緒として、高弟とされる宮川一笑の画業について紹介する。江戸在住時から、長春の身代わりとなって新島へ配流された晩年の動向までを探っていく。 以上の考察を通じ、長春の浮世絵史における意義について考えるとともに、錦絵が創始される以前の浮世絵界がどのような様相を示していたかという点にも意識を向ける。 |
|||||||||||
フォーマット | ||||||||||||
内容記述タイプ | Other | |||||||||||
内容記述 | application/pdf | |||||||||||
著者版フラグ | ||||||||||||
出版タイプ | VoR | |||||||||||
出版タイプResource | http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85 | |||||||||||
学位名 | ||||||||||||
言語 | ja | |||||||||||
学位名 | 博士(美術史学) | |||||||||||
学位名(英) | ||||||||||||
言語 | en | |||||||||||
学位名 | Doctor of Philosophy in Art History | |||||||||||
学位授与機関 | ||||||||||||
学位授与機関識別子Scheme | kakenhi | |||||||||||
学位授与機関識別子 | 32606 | |||||||||||
言語 | ja | |||||||||||
学位授与機関名 | 学習院大学 | |||||||||||
学位授与機関(英) | ||||||||||||
学位授与機関識別子Scheme | kakenhi | |||||||||||
学位授与機関識別子 | 32606 | |||||||||||
言語 | en | |||||||||||
学位授与機関名 | Gakushuin University | |||||||||||
学位授与年月日 | ||||||||||||
学位授与年月日 | 2023-06-22 | |||||||||||
学位授与番号 | ||||||||||||
学位授与番号 | 32606乙第183号 |