@article{oai:glim-re.repo.nii.ac.jp:00001722, author = {栗原, さよ子 and 安部, 清哉 and ABE, Seiya and Kurihara, Sayoko}, issue = {5}, journal = {学習院大学大学院日本語日本文学, Gakushuin University Graduate School nihongo-nihonbungaku}, month = {Mar}, note = {application/pdf, 『今昔物語集』(以下、『今昔』)には、「怯」の字が三箇所にみられる。 ﹇一﹈巻二三・一五話 歎冬ノ衣ノ怯ト吉ク被曝タルヲ着テ 注1(新大系・旧大系・旧全集) ﹇二﹈巻二六・一七話 桧ヨリ手ヲ出シテ(新大系・旧大系・旧全集・新全集) ﹇三﹈巻二八・七話 怯ヨリ肱ヲ取出シテ(新大系)これらの訓はソデとタモトでゆれがある。従来の注釈では、「怯」の訓を類聚名義抄、色葉字類抄を根拠にソデとよませる立場がある一方、『今昔』の捨て仮名の「ト」や後代の傍訓からタモトとよむ立場もある。しかしタモトとよむことについては、類聚名義抄、色葉字類抄に訓が見られず、確証が得られないのが現状である。ところで、鎌倉初期の字鏡抄・字鏡集(以下、字鏡と統一的に呼ぶ)諸本では、「怯」の字はソデともタモトともよまれうるという事実がある。本稿ではこの点に注目しつつ、「桧」がタモトと訓じられるまでの、漢字「怯」とタモト訓との関連について、古辞書を中心に考察してみたい。 『今昔」の漢字部分の訓みは、類聚名義抄・色葉字類抄の訓 注2からある程度うかがえるのだが、字鏡は、『今昔』成立より遅く、『今昔』の訓との資料的な関連性を示すのは難しい。しかし、鎌倉初期に「怯」の訓としてタモトも定着していたことを考慮すると、『今昔」執筆当時はタモトが定着はしていなかったにせよ、よまれうる訓として筆者及び一般に意識され始めていた可能性がある。したがって巻23の捨て仮名つきの例「怯ト」は、『今昔』の筆者があえてソデと区別し、タモトとよませたいがために行ったものと推測することが可能となることを論じる。 以下、『今昔』での「怯」の用法と読みを、諸注釈によって検討し、ついで、古辞書によって、「被」と関連する「袖」「挟」の訓とを比較検討していくことにする。, 日本語学・言語学(Japanese Linguistics・Japanese Language Teaching)}, pages = {34--45}, title = {平安期の 「袪」 の訓タモト : 『今昔物語集』 の捨て仮名付きの「袪」をめぐって}, year = {2009}, yomi = {クリハラ, サヨコ and アベ, セイヤ} }