@article{oai:glim-re.repo.nii.ac.jp:00001105, author = {狩野, 智洋 and Karino, Toshihiro}, issue = {6}, journal = {言語 文化 社会, Language, Culture and Society}, month = {Mar}, note = {application/pdf, ハントケは、主客合一(Unio)を達成した神秘主義的体験や神秘主義者らの言葉の引用及び自らの神秘主義的思想をその著作に度々記している。彼の日記やインタビューでの発言から、彼がマイスター・エックハルトのみならず、道徳教やイスラム教神秘主義、禅仏教等、東西の神秘主義的文献を読んでいることが分かる。但し、本論文では主にハントケとヨーロッパ・キリスト教神秘主義との関係について論じる。ヨーロッパ・キリスト教神秘主義の重要なテーマともなっている「主客合一」、「変身(Verwandlung)」、「形(Form)」が彼の作品中においても重きをなしている。シナリオ『回り道』(Falsche Bewegung)の、対象を自己内部の一部とする「エロティックな眼(erotischer Blick)」や小説『サント・ヴィクトワール山の教え』中の周囲の世界を統一する「形」を自己の中に見いだす認識、また戯曲『問いの技法』の「土地の者」が語る、問うことと問われることの一致及びそれを通じた自己と他者の合一などは主客合一を表現している。特に『サント・ヴィクトワール山の教え』に見られる、全てに共通する構造を把握する認識は、アウグスティヌスが神を認識する第二の認識方法と認める認識方法と同一のものである。この第二の認識方法を可能ならしめるのが感覚表象を抽象する想像力(Phantasie)であるが、戯曲『村々を巡って』と『サント・ヴイクトワール山の教え』にも同様の関係が描写されている。ちなみにハントケは彼にとってヴィジョンとは像ではなく、言葉であると述べている。『問いの技法』と『サント・ヴイクトワール山の教え』では、登場人物が自らが熱心に関わっている対象に「変身」することが述べられ、特に後者では「変身」する直前に登場人物が無我になることが描写されている。キリスト教神秘主義においても、ベルナール・ド・クレルヴォー等が主張するように、神との合一は人間がキリスト=神に「変身」することによって達成されるとされているが、神と一体であるキリストとの合一には、人間が完全に無我になることが前提とされている。不完全な部分である自我が完全に放擲されなければ、全的で不二である神に「変身」することは不可能だからである。ハントケにおいて、「形」は時間を超越する「永遠の今」であり、周囲の世界に遍在し全体を統一するものである。これは神に関してヨーロッパ・キリスト教神秘主義で言われていることに通じる。即ち、「形」は、聖霊が神と一体であるのと同様に、神であると言える。実際ハントケは「形」を「誰にでも有効な神」と表現している。トマス・アクィナスは、人間の理解力を超えた神の本質を直接把握することは不可能であり、何らかの「形」を通じてしか把握することはできない、と述べている。ここにも、ハントケとキリスト教神秘主義との共通点が見られるのである。ハントケがヨーロッパ・キリスト教神秘主義的要素を持つに至った原因は、彼の執筆の問題と関わりがある。日記『世界の重み』には、それまでに彼の経験した殆ど全てが、彼の内面において曖昧模糊としたものとなったことが明らかになったとし、彼の内面にあるこれら何千という曖昧模糊とした体験を本質的に変え、静かに輝く新しいものとすることが、彼の今後の執筆の課題だ、と記されている。この作業が彼に自己認識(Selbsterkenntnis)と客観的態度(Sachlichkeit)を要求することになる。自己認識は、キリスト教神秘主義における重要な要素であり、それは特に、自己が無であることを受け入れることに通じる。ハントケの日記にも、自己が無であることに気づくことの重要性を示唆する記述が見られる。これは更に、自己意志の放棄につながる。特にハントケの場合、自己の内面に於いて生じる様々な現象に対する、想像力の活動に対する、自らの意図的介入を排除することをも含意する。言い換えるならば、自らの経験したことが自ずから言葉になるまで待つことである。自己意志の放棄はまた、外界の対象に対する所有欲(Habsucht)の放棄をも含むが故に、外界に対する客観的態度にもつながるのである。この点に於いて、ハントケの思想はマイスター・エックハルトとのそれと一致する。また、ハントケにとり、外界に対し介入しようとする意志は、外界をありのままに受け入れ、それが自己内部で想像力の働きによって、自ずから言葉になることを妨げるものである。それ故、執筆の際、彼には外界に対する客観的態度が要求される。上記のように、ハントケの執筆には自己認識と客観的態度が必要不可欠であるが、これらが彼とキリスト教神秘主義とを結びつける方向へと、彼を導いて行ったと考えられる。但し、ハントケは飽くまでも自らの執筆のためにこの方向へ進んだのであり、また日記にも記されているように、彼は、天国ではなく、この世の救いを求める人々の為に執筆するのだと思い定めている。このことから、キリスト教神秘主義と多くの共通点を有してはいるものの、ハントケの作家的側面を忘れ、神秘主義的側面のみに目を向けるならば、それは誤りだと言えよう。}, pages = {41--61}, title = {Peter Handke und die Mystik : Der mystische Weg zum Schreiben}, year = {2008}, yomi = {カリノ, トシヒロ} }