@article{oai:glim-re.repo.nii.ac.jp:00001099, author = {狩野, 智洋 and Karino, Toshihiro}, issue = {4}, journal = {言語 文化 社会, Language, Culture and Society}, month = {Mar}, note = {application/pdf, ホルヴァートの喜劇『美望亭』には、喜劇的な場面と深刻且っ残酷な場面が多数混在している。ホルヴァートは、生命を脅かす失業を登場人物の背景として用いることが多く、『美望亭』でも登場人物達の多くは失業もしくは失業の危機にさらされている。この失業は、ホルヴァートの言葉に倣うと、個人と社会の絶望的な戦いである。こうした背景を考慮すると、一見堕落した人間と思われがちな登場人物達の多くにも、同情すべき過去があり、一概に非難することのできない側面がある。 社会は個人の集合から成り立っものであるが故に、個人と社会との戦いはまた個人と個人との戦いでもある。『美望亭』ではこの各個人間の戦いが登場人物らによって繰り広げられる。その時、第三者にとっては滑稽な台詞等も当事者には残酷な言葉や仕打ちとなる。それは個人の社会に対するこの戦いが、それ自体は善とも悪とも見なすことのできない獣性に基づいて行われ、その戦い方が潔いか卑怯かは形式の問題であるという、作者の思想と、ありのままに人間を描こうとする作者の意図に由来する。そこからまた、この「喜劇」のもっ喜劇的側面と残酷かっ深刻な側面の二面が生じる。 この作品に見られる、個人と社会の絶望的な戦いと個人間の残酷な戦いというテーマをホルヴァートは以後の作品でも繰り返し取り上げている。その意味において『美望亭』は彼の以後の作品を先取りする作品であり、作者ホルヴァートは「残酷な喜劇」という新しい喜劇を世に送り出したことにより、ドイッ語圏の演劇史に重要な貢献をしたといえる。従って『美望亭』はホルヴァートの諸作品においてもドイッ語圏演劇においても重要な作品の一っであると言える。}, pages = {49--68}, title = {Eine grausame Komodie : "Zur schonen Aussicht" von Odon von Horvath}, year = {2006}, yomi = {カリノ, トシヒロ} }