<?xml version='1.0' encoding='UTF-8'?>
<OAI-PMH xmlns="http://www.openarchives.org/OAI/2.0/" xmlns:xsi="http://www.w3.org/2001/XMLSchema-instance" xsi:schemaLocation="http://www.openarchives.org/OAI/2.0/ http://www.openarchives.org/OAI/2.0/OAI-PMH.xsd">
  <responseDate>2026-03-15T11:38:56Z</responseDate>
  <request identifier="oai:glim-re.repo.nii.ac.jp:02002564" metadataPrefix="oai_dc" verb="GetRecord">https://glim-re.repo.nii.ac.jp/oai</request>
  <GetRecord>
    <record>
      <header>
        <identifier>oai:glim-re.repo.nii.ac.jp:02002564</identifier>
        <datestamp>2023-10-27T00:23:48Z</datestamp>
        <setSpec>1253:135:141:1689567758620</setSpec>
      </header>
      <metadata>
        <oai_dc:dc xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:oai_dc="http://www.openarchives.org/OAI/2.0/oai_dc/" xmlns="http://www.w3.org/2001/XMLSchema" xsi:schemaLocation="http://www.openarchives.org/OAI/2.0/oai_dc/ http://www.openarchives.org/OAI/2.0/oai_dc.xsd">
          <dc:title>近世やまと絵考 : 土佐派・住吉派の源氏絵を中心に</dc:title>
          <dc:title>キンセイ　ヤマトエ　コウ　トサハ　スミヨシハ　ノ　ゲンジエ　オ　チュウシン　ニ</dc:title>
          <dc:creator>菊地, 絢子</dc:creator>
          <dc:creator>キクチ, アヤコ</dc:creator>
          <dc:creator>Kikuchi, Ayako</dc:creator>
          <dc:description>学習院大学</dc:description>
          <dc:description>Gakushuin University</dc:description>
          <dc:description>博士（美術史学）</dc:description>
          <dc:description>Doctor of Philosophy in Art History</dc:description>
          <dc:description>文芸創出の過程において、作品媒体の特性や作品に求められ期待される機能、享受層の社会的・文化的志向など諸要素が相互に絡み合い、膨大な参照系が不断に生成される。
物語の成立後まもなくして始まる『源氏物語』の絵画化は、国宝「源氏物語絵巻」（徳川美術館・五島美術館ほか分蔵）以降、後世さまざまに展開していく。大がかりで記念的な源氏絵制作に際しては、詞書（詞章）の抄出箇所や料紙の選定、能書家への染筆割り振りなどを行い、作品制作全体を統括するプロデューサー的役割を担う人物の存在がした。改めて言挙げするまでもなく、描くべき場面の選定とテクストの抄出（詞章の作成）とは、物語の解釈と再構築に他ならない。例えば、現存最古の国宝「源氏物語絵巻」の場合、蓬生段に見る如く、詞章は本文からの機械的な切り出しではなく、結合と改変によって情景を構築していることが指摘される。つまり、『源氏物語』の絵画化において物語を解釈し提示するという行為は、早い段階から行われていたのである。
中世末から近世前期にかけての盛んな源氏絵制作は、画面の定型化を推し進めた。場面の選択とその図様構成が定型化されればされるほど、享受者は容易に物語に辿り付くことができる。源氏絵は、物語の解釈可能性の現れである一方で、複雑な物語構造を明快で断片的なイメージに整理することを可能とした。図様の定型化の先に、解釈の定型化も手繰り寄せられる道筋も見逃せない。

本論文は、個々の作品研究の絵画様式と物語解釈の精緻な解析を積み上げ、次に場面選択の点においてそれらがいかなる図様の参照系の上に成り立っているのか、また図様定型の継承と革新がどのように行われているのか明らかにしていく。各章の内容と構成は以下のとおりである。
（一）土佐派源氏絵の源流
近年の源氏絵研究では、源氏絵制作において室町期の扇面画群の図様が後世の絵師たちに広く参照されていたであろうという認識がある。しかし、室町期の扇面画群においてどれくらいの図様が共有され、定型化が行われていたかということは明確には論じられていない。第一～二章では、室町期のとりわけ扇面画制作において、当初から既に場面選択だけでなく図様としても定型化が始まっていたことを実証した。さらに、筆者作成の「源氏絵帖別場面一覧」をもとに光吉以降の作例とも対照し、室町期の多様な源氏絵図様は土佐派源氏絵の源流として後世まで多大な影響力を持っていたことを明らかとした。
（二）土佐光吉による「土佐派伝統図様」の成立
第三章では、光吉の行った室町期の膨大な図様を整理と再構築、すなわち集大成を検討する。光吉の『源氏物語』を通して華やかで雅な王朝文化を描くことに注力した図様は、土佐派・住吉派といったやまと絵画派のみならず、漢画の主流であった狩野派や特定の画派に属さない町絵師にとっても源氏絵図様の基準となるものであった。それによって定型図様の印象が強い光吉であるが、細かい人物表現と儀式や行事の再現、そして物語として展開を見せるドラマチックな場面の絵画化を新たな試みとし、新図様の創出に対しても積極的であったことが明らかとなった。本文や注釈書への関心は必ずしも物語を忠実に描くことに向いてはいないが、本文から様々なモティーフを拾い上げることによってより豊かな情景への再構成を成し遂げたのである。
（三）土佐光則の新図様の解明
第四～六章で検討するのは、定型を描く光吉源氏とは異なるものとしてしばしば注目を集めてきた光則の新図様と呼ばれる場面選択と図様である。しかし、光則の新図様と呼ばれるものはまったくの新しいものではなく、室町期の扇面群や土佐派粉本中に近似する図様が見出されている。光吉が選ばなかった図様を改めて選択し、それらを洗練させ自らの様式下に置く光則の新図様の創出は、「再発掘」というべきものであることを筆者はかねてから論じている。
光則源氏の新図様が物語解釈に寄り添うものに成り得た一因には、室町期の多種多様な源氏絵図様を源流とすることによる保証、光信の源氏絵制作と三条西実隆の源氏絵解釈に強固な結びつきがあったことが大きく影響している。しかし、光則源氏が光信源氏と大きく異なるのは、『源氏物語』全体を通じた〈読み〉（＝解釈）を場面選択や図様に提示したことにある。従来の物語を断片的に映し出す梗概的な源氏絵に物語を付したのが、光則の新図様なのである。光則の新図様への探求は、源氏絵を華やかなものとして愛でるというところから、制作者や絵師が自身の解釈を提示し鑑賞者が読み解くというところへ、享受の幅を広げるのである。このことは、十七世紀に土佐派周辺絵師たちによって制作される源氏絵作例の多くに光則の新図様が認められることにも現れている。
（四）源氏絵制作と周辺の文化ネットワーク
第六章では、光則の新図様と『岷江入楚』との照合を行い、光則の源氏絵制作に同時代に流行した松永貞徳系の源氏学が反映されていることを実証した。光則が『源氏物語』数ある物語の中から「玉鬘物語」「柏木女三の宮物語」を場面選択に浮上させることで、『源氏物語』に「源氏栄華と衰退の物語」という解釈を提示することを明らかとした。
（五）絵画資料と図様系譜
第九章では、源氏絵制作における粉本の意義と位置付けの検討として、『土佐派絵画資料』（京都市立芸術大学芸術資料館蔵）及び『住吉家粉本類』（東京藝術大学大学美術館蔵）と現存作例との比較を行った。光則の源氏絵作例を中心に現存作例と詳細まで一致する線描をもつ『土佐派絵画資料』は、五十四帖揃いでは現存せず光則の新図様を中心に現存するものである。一方で、『住吉家粉本類』は線描においては現存作例と一致しないものの、五十四帖すべての図様が残されている。そして、三つの系統に分けられる粉本のうちのひとつは住吉如慶筆「源氏物語画帖」（大英図書館蔵）と、もうひとつは住吉如慶筆「源氏物語画帖」（石山寺蔵）、住吉具慶筆「源氏物語絵巻」（ＭＩＨＯ ＭＵＳＥＵＭ蔵）の二作例と同一の場面選択、近似する図様を持っている。このことによって、『土佐派絵画資料』はとりわけ光則の新図様を、『住吉家粉本類』は全図を継承するために用いられてきたことが明らかとなった。
（六）光則以後の絵師たち
第十一章では、光起が絵所預に復帰することによってやや停滞を見せる土佐派源氏絵画業を住吉派が独自の様式も確立しながら継承する流れを論じる。如慶は土佐派源氏絵を継承する一方で、新たに絵画様式や図様の展開を試みている。室町期の白描絵巻や光則の白描作例、さらには行事絵や縁起絵など、多岐に亘る画業の蓄積を源氏絵制作に反映させ、淡彩源氏絵を確立させた。一方、光起の源氏絵は場面選択や図様の大部分が光則源氏の踏襲であり、如慶のような真新しい展開は認められない。しかし、光起源氏の功績は、如慶が新たに展開した淡彩源氏絵に対して、伝統的な土佐派の彩色源氏絵を継承したことにある。光起は再び華やかな王朝イメージに立ち返るように、装束や室内調度、庭の情景の表現に関心を寄せている。
（七）古典文学復興における古典と絵画
最後にあたる第十二～十四章では、源氏絵制作とも強固な繋がりが看取された古典文学復興における古典文学と絵画化という議論を立ち上げる。『源氏物語』と二大古典文学を誇る『伊勢物語』及び伊勢絵に着目し、なかでも「伊勢物語御歌かるた」の図様形成におけるイメージソースを頼りに時代を遡って伊勢絵図様の検討を試みた。『伊勢物語』の和歌を中心とした断片的なエピソードを集めた物語構成は、物語絵よりも歌絵としての側面が強く、長編の物語ほどに解釈の余地が生まれない。よって図様の定型化はより強固となることが明らかとなった。

以上、本論文は、土佐派・住吉派源氏絵の作品研究を起点に各絵師に見られる源氏絵制作の在り方、及び近世源氏絵体系を理解し、近世やまと絵における古典文学の絵画化を論ずるものである。扇面・色紙という作品形式に焦点をあて、源氏絵図様の定型と新創出の中心であった土佐派源氏絵色紙の現存最初期の作例から近世までの作例を、時系列で検討を重ねてきた。とりわけ、土佐光吉が図様の定型を整理体系化することによって周縁にはじかれた図様群に注目し、光則や如慶といった次代のやまと絵師たちがそれらをいかに活用したかを検討した。しかし、源氏絵作例は数多く、作例の新たな報告も相次ぎ、検討すべき作例は数多く残っている。今後も引き続き作品研究と相互比較による位置付けを課題とし、各時代における古典文学と絵画制作の在り方を研究課題としたい。</dc:description>
          <dc:description>application/pdf</dc:description>
          <dc:description>doctoral thesis</dc:description>
          <dc:date>2023-03-09</dc:date>
          <dc:type>VoR</dc:type>
          <dc:format>application/pdf</dc:format>
          <dc:format>application/pdf</dc:format>
          <dc:identifier>32606甲第317号</dc:identifier>
          <dc:identifier>https://glim-re.repo.nii.ac.jp/record/2002564/files/abstract_K317.pdf</dc:identifier>
          <dc:identifier>https://glim-re.repo.nii.ac.jp/record/2002564/files/ref_abstract_K317.pdf</dc:identifier>
          <dc:identifier>http://hdl.handle.net/10959/0002002564</dc:identifier>
          <dc:identifier>https://glim-re.repo.nii.ac.jp/records/2002564</dc:identifier>
          <dc:language>jpn</dc:language>
          <dc:rights>open access</dc:rights>
        </oai_dc:dc>
      </metadata>
    </record>
  </GetRecord>
</OAI-PMH>
